琴風豪規(ことかぜ ごうき)は、佐渡ヶ嶽部屋に所属した三重県津市出身の元大関です。本名は中山浩一で、1957年4月26日生まれの69歳。幕内優勝2回、大関を22場所務めました。引退後は年寄「尾車」として尾車部屋を率いましたが、部屋は2022年2月に閉じ、本人も2024年5月11日付で日本相撲協会を退職しています。いまは「琴風浩一」の名でNHK大相撲中継の解説を務めています。
この記事の数字と「今」について
琴風は1985年11月場所で引退し、年寄「尾車」として尾車部屋を率いたのち、2024年5月11日付で日本相撲協会を退職しました(日本相撲協会公式のお知らせ「年寄 尾車 退職」)。いまの尾車親方は元幕内琴恵光で、琴風とは別の人です。通算成績と受賞歴は日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」の確定値、場所ごとの番付と成績は相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計を使い、通算が協会公式と一致することを確かめています。動きは2026年10月12日時点の情報です。
この記事でわかること
- 琴風の読み方・本名・年齢と、4つの名前の関係
- いま何をしているか(協会の退職とNHK解説)
- 今の尾車親方が琴風ではない理由
- 尾車部屋の閉鎖と、弟子17人の移籍先
- 関脇から幕下30枚目に落ちて戻った現役時代
- 優勝2回・大関22場所の成績、金星6個と三賞6回
琴風とは|読み方・本名・年齢・出身の基本プロフィール
琴風は「ことかぜ ごうき」と読む元大関で、本名は中山浩一。三重県津市出身の69歳です。
協会公式の歴代大関のページ(引退後も公開)に載っている基本情報は次のとおりです。和暦の日付には西暦を添えています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| しこ名 | 琴風 豪規(ことかぜ ごうき) |
| 本名 | 中山 浩一 |
| しこ名履歴 | 中ノ山 → 琴風 |
| 生年月日 | 1957年(昭和32年)4月26日(2026年10月12日時点で69歳) |
| 出身地 | 三重県津市 |
| 身長・体重 | 183.5cm・173.0kg |
| 所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 |
| 得意技 | 左四つ・寄り |
| 初土俵 | 1971年(昭和46年)7月場所 |
| 新十両 | 1975年(昭和50年)11月場所 |
| 新入幕 | 1977年(昭和52年)1月場所 |
| 新三役 | 1978年(昭和53年)1月場所 |
| 新大関 | 1981年(昭和56年)11月場所 |
| 引退 | 1985年(昭和60年)11月場所 |
| 年寄名 | 尾車(8代)。2024年5月11日付で協会を退職 |
※出典:日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」・日本相撲協会公式「歴代大関一覧」・日本相撲協会公式のお知らせ「年寄 尾車 退職」(2026年10月12日取得)
現役の関取の読み方や所属部屋は現役力士一覧、歴代の大関は大関とはにまとめています。
読み方は「ことかぜ ごうき」、本名は中山浩一
協会の歴代大関一覧は「ことかぜ ごうき」と読みを載せています。下の名前の「豪規」は本名の浩一とは別です。
日本相撲協会公式「歴代大関一覧」では、昭和以降の大関の27人目に「琴風 豪規」があります。海外の記録サイトには「こうき」と読む表記もありますが、この記事は協会の表記に合わせています。初土俵の1場所だけは本名の一字を取った「中ノ山」を名乗り、翌場所から琴風になりました(相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計)。琴風豪規・尾車浩一・琴風浩一・中山浩一は同じ人
4つの名前はどれも同じ人で、現役のしこ名、親方の年寄名、退職後の名前、本名として使われてきました。
| 名前 | 使われた時期 | 場面 |
|---|---|---|
| 琴風 豪規 | 1971年9月〜1985年11月 | 現役のしこ名 |
| 尾車 浩一 | 1985年11月〜2024年5月 | 年寄名(8代尾車)。「尾車親方」 |
| 琴風 浩一 | 協会の退職後 | NHK大相撲中継の解説など |
| 中山 浩一 | — | 本名。協会のお知らせや弔辞の報道で使われる |
※出典:日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」・相撲レファレンスの年寄名跡「尾車」の代々・デイリースポーツ(2025年9月16日)・文藝春秋(2026年4月9日)(2026年10月12日取得)
中学生で入門し、九州場所で東京へ帰された82人の1人
1971年に中学生のまま入門し、その年の九州場所で東京へ帰された中学生力士82人の1人でした。
日本相撲協会公式の大相撲クイズによると、1971年の九州場所に同行していた中学生力士82人が突然東京へ帰され、その中に後の大関琴風もいました。このあと、中学を出ていないと力士になれないように規則が変わっています。本人は2022年の会見で「14歳で佐渡ケ嶽部屋に入門してから51年」と振り返っています(日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日))。琴風は今何をしている?|協会を2024年5月に退職し、NHK大相撲中継の解説者
もう親方ではありません。2024年5月11日付で協会を退職し、いまはNHK大相撲中継の解説者です。
協会は「年寄 尾車(本名 中山 浩一)は、令和6年5月11日付で退職」と発表しています(日本相撲協会公式のお知らせ「年寄 尾車 退職」)。協会の日本相撲協会公式「年寄一覧」にも、参与の一覧(日本相撲協会公式「理事会・職務分掌」(令和8年9月1日現在))にも中山浩一の名前はありません。部屋を閉じてから今までの動きは次のとおりです。
| 時期 | できごと | 出典 |
|---|---|---|
| 2022年2月7日 | 尾車部屋を閉じ、押尾川部屋の部屋付きになる | 協会のお知らせ |
| 2022年3月21日 | 定年を前にオンラインで会見 | 日本経済新聞(共同) |
| 2022年4月 | 65歳で定年。その後も再雇用で協会に残る | 相撲レファレンス・報道 |
| 2024年5月7日 | 協会に退職届を出す | SmartFLASH |
| 2024年5月11日 | 協会を退職 | 協会のお知らせ |
| 2024年5月17日 | 元幕内琴恵光が年寄「尾車」を襲名 | 協会のお知らせ |
| 2024年11月 | NHK大相撲中継の解説者としてデビュー | 共同通信配信 |
| 2026年3月 | 盟友の元大関若嶋津の告別式で弔辞を読む | 文藝春秋 |
※出典:日本相撲協会公式のお知らせ(令和4年1月27日理事会)・日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日)・相撲レファレンスの年寄名跡「尾車」の代々・SmartFLASH(2024年5月8日)・日本相撲協会公式のお知らせ「年寄 尾車 退職」・日本相撲協会公式のお知らせ(令和6年5月17日)・文藝春秋(2026年4月9日)(2026年10月12日取得)
NHK解説は2024年九州場所から
NHK大相撲中継の専属解説者としてのデビューは、2024年九州場所の初日でした。67歳のときです。
共同通信は2024年11月10日、「琴風氏『相撲は面白い』NHK解説者デビュー」の見出しで配信し、「生の迫力に改めて相撲は面白いと思った」という言葉を伝えています。デイリースポーツ(2025年9月16日)は、舞の海秀平さんが「琴風浩一氏=元大関=とコンビを組むことが多い」と書いています。中継で解説を務める親方や元力士は相撲解説者の一覧にまとめています。
今の「尾車親方」は元琴恵光で別人
2024年5月以降の「尾車親方」は元幕内琴恵光で、琴風とは別の人です。所属も佐渡ヶ嶽部屋です。
琴風の退職から6日後の2024年5月17日、協会は「元幕内 琴恵光(本名 柏谷 充隆、佐渡ヶ嶽部屋)引退、年寄 尾車襲名を承認」と発表しました(日本相撲協会公式のお知らせ(令和6年5月17日)・デイリースポーツ(2024年5月17日))。2026年九月場所の相撲博物館のトークイベントに出た「尾車親方(元 琴恵光)」も、いまの尾車です(協会のお知らせ(相撲博物館トークイベント))。
2024年5月より後の「尾車親方」は琴恵光です
琴風(中山浩一)が尾車を名乗ったのは1985年11月から2024年5月11日までです。2024年5月17日以降の記事や動画に出てくる「尾車親方」は元琴恵光で、協会の日本相撲協会公式「年寄一覧」にも「尾車 充隆|佐渡ヶ嶽|琴恵光」と載っています。
2026年3月、盟友若嶋津の告別式で弔辞
2026年3月に亡くなった元大関若嶋津の告別式で、中山浩一さんとして弔辞を読みました。
元若嶋津の日高六男さんは2026年3月15日に69歳で亡くなりました(秋田魁新報(共同通信配信、2026年3月15日))。文藝春秋(2026年4月9日)によると、中山浩一さんは涙ながらに弔辞を読み、14年前の大けがのときに支えてもらったと述べています。Sports Graphic Number(2017年6月26日)は2人を家族ぐるみの盟友と紹介しています。
尾車部屋はどうなった?|2022年2月に閉鎖、弟子は押尾川部屋と二所ノ関部屋へ
尾車部屋は2022年2月7日付で閉じ、押尾川部屋へ7人、二所ノ関部屋へ10人が移りました。
2022年1月27日の理事会で、元関脇豪風の押尾川親方が尾車部屋から独立して押尾川部屋をつくること、残りの人が二所ノ関部屋へ移って尾車部屋を閉じることが承認されました(日本相撲協会公式のお知らせ(令和4年1月27日理事会))。移った17人は次のとおりです。
| 移籍先 | 人数 | 移った人(職・しこ名) |
|---|---|---|
| 押尾川部屋 | 7人 | 年寄 押尾川(元豪風)、理事 尾車(琴風本人)、十両 矢後、幕下 天風、序二段 飛燕力、世話人 錦風、床山 床豪 |
| 二所ノ関部屋 | 10人 | 年寄 中村(元嘉風)、幕下 友風・栄風・藤川・竜風・竹岡、三段目 西田・宮城、序二段 阿部、呼出 禄郎 |
※出典:日本相撲協会公式のお知らせ(令和4年1月27日理事会)(2026年10月12日取得)
押尾川部屋の力士のしこ名には「風」の字が入ります。協会公式の大相撲クイズは、これを旧尾車部屋の伝統を引き継ぐ形だと紹介しています。Sports Graphic Number(2022年12月30日)も、押尾川部屋は旧尾車部屋の力士が移る形で始まったと伝えています。
定年は2022年4月、その後も2024年5月まで協会に在籍
2022年4月に65歳で定年を迎えたあとも、再雇用で2024年5月まで協会に残りました。
相撲レファレンスの年寄名跡「尾車」の代々は、定年を2022年4月25日、その後を再雇用と記録しています。定年前の3月21日の会見で、本人は再雇用制度で協会に残る意向を話しました(日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日))。文藝春秋(2023年12月7日)は、2023年12月の時点で「“参与”として土俵を見守る」と書いています。協会の公式サイトで確かめられるのは2024年5月11日付の退職の発表で、定年や再雇用のお知らせは見当たりません。退職の言葉は「後進に道を譲る」
2024年5月7日に退職届を出し、「後進に道を譲るべき。老兵は消え去るのみ」と話したと報じられました。
SmartFLASH(2024年5月8日)によると、再雇用の任期を待たずに退職し、年寄名跡「尾車」は本家の佐渡ヶ嶽部屋へ返すとされました。知人には「後悔はないです。やりきったという感じです」と話しています。尾車の名跡は、6日後に佐渡ヶ嶽部屋の琴恵光が継ぎました。尾車親方としての歩み|1987年に部屋を興し、関脇の豪風・嘉風を育てた
1985年に年寄「尾車」を継ぎ、1987年に佐渡ヶ嶽部屋から分かれて尾車部屋を興しました。
相撲レファレンスの年寄名跡「尾車」の代々によると、8代尾車の襲名は引退直後の1985年11月13日、尾車部屋の創設は1987年3月23日です。相撲レファレンスの部屋別の力士検索で数えると、尾車部屋に在籍した関取は12人で、押尾川部屋から移ってきた若兎馬・若麒麟を除く10人が部屋で育った力士です。| しこ名 | 最高位 | 初土俵 | いま |
|---|---|---|---|
| 豪風 | 関脇 | 2002年5月 | 押尾川親方(押尾川部屋の師匠) |
| 嘉風 | 関脇 | 2004年1月 | 中村親方(中村部屋の師匠) |
| 友風 | 前頭3 | 2017年5月 | 中村部屋で現役 |
| 矢後 | 前頭10 | 2017年5月 | 2026年9月に引退 |
| 天風 | 前頭13 | 2007年3月 | 押尾川部屋で現役 |
| 皇風 | 前頭13 | 2009年1月 | 2014年に引退 |
| 星風 | 十両3 | 2002年11月 | 2011年に引退 |
| 富風 | 十両8 | 1987年7月 | 2004年に引退 |
| 舞風 | 十両10 | 1992年3月 | 2007年に引退 |
| 政風 | 十両12 | 2006年3月 | 2018年に引退 |
※出典:相撲レファレンスの部屋別の力士検索・日本相撲協会公式「年寄一覧」(2026年10月12日取得)
豪風・嘉風・友風・矢後|部屋を継いだ弟子たち
関脇の豪風は押尾川部屋を、嘉風は中村部屋を興し、どちらもいま部屋の師匠を務めています。
豪風は2019年1月に引退して年寄「押尾川」を(協会のお知らせ(平成31年1月22日))、嘉風は2019年9月に引退して年寄「中村」を襲名しました(協会のお知らせ(令和元年9月12日))。中村親方は尾車部屋から二所ノ関部屋を経て、2024年6月に中村部屋を興しています(文藝春秋(2024年7月9日))。2017年夏場所に尾車部屋から幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ矢後は、2026年9月25日に引退を発表しました(熊本日日新聞(共同通信配信、2026年9月26日))。
理事・事業部長として協会を支えた
2012年の改選で理事になり、巡業部長や事業部長を務めました。理事は5期10年です。
時事ドットコムの写真特集と日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日)が伝える経歴です。2014年3月24日に選ばれた理事13名にも名前があり(日本相撲協会公式のお知らせ(平成26年3月24日))、Sports Graphic Number(2017年6月26日)は2017年の時点で「協会ナンバー2」の事業部長と紹介しています。協会の事業報告書では、平成30年度から令和3年度までの年度末に「理事 中山 浩一 尾 車 事業部長」とあり、全国維持員会の会長も務めました。令和4年度の年度末の役員表には名前がなく、事業部長は陸奥親方に代わっています。2012年の巡業中の転倒と復帰
2012年4月、福井の巡業会場で転倒して首から下が動かなくなり、リハビリを経て協会の仕事に戻りました。
本人の闘病記を載せた日刊ゲンダイ(2014年2月6日)によると、小浜市の会場の入り口付近で土俵端のシートに足を取られて転びました。けがの名前は、日刊ゲンダイの見出しが「頚髄損傷」、Sports Graphic Number(2017年6月26日)が「頸髄を捻挫」で、報道によって表記が分かれています。中日スポーツの北の富士コラム(2022年3月22日)は、首のけがからリハビリで復帰し、事業部長として八角理事長を支えたと書いています。
現役時代の歩み|関脇から幕下30枚目に落ち、3場所で幕内へ戻った
新関脇から1年足らず、前頭筆頭の1978年九州場所で左膝を痛め、翌年7月には幕下30枚目まで落ちました。
そこから幕下・十両で続けて優勝し、1980年初場所に幕内へ戻っています。協会公式の大相撲クイズは、関脇まで上がったあと幕下以下に落ち、また関脇に戻った力士を若隆景・照ノ富士・琴風の3人とし、そのうち戻ってからの最高位が大関なのは琴風だと紹介しています。
| 場所 | 番付 | 成績 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1971年7月 | 前相撲 | — | 初土俵(中ノ山) |
| 1975年11月 | 西十両12 | 8勝7敗 | 新十両(18歳) |
| 1977年1月 | 西前頭11 | 8勝7敗 | 新入幕 |
| 1978年1月 | 西関脇 | 5勝10敗 | 新三役(小結を経ずに関脇) |
| 1978年11月 | 西前頭1 | 0勝3敗12休 | 左膝のけがで休場 |
| 1979年7月 | 西幕下30 | 6勝1敗 | 幕下で最も低い位置 |
| 1979年9月 | 西幕下8 | 7勝0敗 | 幕下優勝 |
| 1979年11月 | 西十両11 | 14勝1敗 | 十両優勝 |
| 1980年1月 | 西前頭14 | 12勝3敗 | 幕内に戻り準優勝・敢闘賞 |
| 1981年11月 | 東大関 | 11勝4敗 | 新大関 |
※出典:相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計・日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」(2026年10月12日取得)
同じように幕下から関脇へ戻った力士には若隆景と照ノ富士がいます。
14歳で入門、18歳で新十両
14歳で佐渡ヶ嶽部屋に入り、1975年九州場所に18歳で新十両、1977年初場所で新入幕を果たしました。
1973年7月に新三段目、1974年5月に新幕下、1975年11月に新十両に上がりました。新入幕から1年後の1978年初場所には、小結を経ずに新関脇になっています(相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計)。
左膝のけがで幕下30枚目へ
1978年九州場所で左膝を痛めて休み、1979年初場所も途中で休んで、番付を大きく下げました。
相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計によると、1978年11月は西前頭1枚目で0勝3敗12休、1979年1月は東前頭13枚目で3勝2敗10休、3月は西十両7枚目で全休、5月は西幕下5枚目で全休でした。7月場所は西幕下30枚目まで下がっています。本人は2022年の会見で、関脇昇進後に左膝の大けがで幕下まで落ちたことを振り返っています(日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日))。幕下優勝・十両優勝で戻り、幕内復帰の場所で12勝
1979年秋場所に幕下で7戦全勝優勝、九州場所に十両で14勝1敗の優勝をして、すぐ幕内へ戻りました。
幕内に戻った1980年初場所は西前頭14枚目で12勝3敗を挙げ、準優勝と敢闘賞を受けています。5月場所には関脇へ戻りました。7月場所に左膝を再び痛めて途中休場し、9月場所は全休しています(相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計)。
師匠の先代琴櫻が付け人にした話
幕下に落ちた琴風を、師匠の佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴櫻)は巡業で自分の付け人にしました。
中日スポーツの北の富士コラム(2022年3月22日)によると、元横綱北の富士がその理由を聞くと、師匠は「今が大事な時なんです」と答えたそうです。琴風は佐渡ヶ嶽部屋から出た昭和以降の大関の2人目です(協会公式の大相撲クイズ)。部屋のいまの力士では琴櫻も紹介しています。大関琴風の成績|在位22場所で212勝110敗8休、優勝2回
大関在位は22場所で212勝110敗8休、勝率は6割5分8厘です。優勝2回のうち1回は大関で挙げました。
| 回 | 場所 | 番付 | 成績 | 内容 |
|---|---|---|---|---|
| 1回目 | 1981年9月 | 東関脇 | 12勝3敗 | 横綱若乃花を寄り切り。技能賞も受賞 |
| 2回目 | 1983年1月 | 西大関 | 14勝1敗 | 優勝決定戦で関脇朝潮を寄り切り |
※出典:相撲レファレンスの場所別の取組・日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」の戦歴・受賞歴(2026年10月12日取得)
| 場所 | 成績 | 場所 | 成績 |
|---|---|---|---|
| 1981年11月 | 11勝4敗 | 1983年9月 | 11勝4敗 |
| 1982年1月 | 10勝5敗 | 1983年11月 | 11勝4敗 |
| 1982年3月 | 9勝6敗 | 1984年1月 | 11勝4敗 |
| 1982年5月 | 9勝6敗 | 1984年3月 | 9勝6敗 |
| 1982年7月 | 11勝4敗(準優勝) | 1984年5月 | 9勝6敗 |
| 1982年9月 | 9勝6敗 | 1984年7月 | 8勝7敗 |
| 1982年11月 | 10勝5敗 | 1984年9月 | 10勝5敗 |
| 1983年1月 | 14勝1敗(優勝) | 1984年11月 | 10勝5敗 |
| 1983年3月 | 11勝4敗 | 1985年1月 | 8勝7敗 |
| 1983年5月 | 11勝4敗 | 1985年3月 | 5勝10敗 |
| 1983年7月 | 12勝3敗 | 1985年5月 | 3勝4敗8休(かど番) |
※出典:相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計(大関22場所の合計は日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」の戦歴・受賞歴の212勝110敗8休と一致、2026年10月12日取得)
初優勝は1981年秋場所、関脇で12勝3敗→大関へ
初優勝は1981年秋場所で、東関脇で12勝3敗。前の2場所と合わせた31勝で大関に上がりました。
大関に上がる前の3場所は、5月が西関脇で9勝6敗、7月が東関脇で10勝5敗、9月が東関脇で12勝3敗の優勝です(相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計)。いまの目安とされる「三役で3場所33勝」より2つ少ない31勝での昇進でした。秋場所の黒星は2日目の大寿山、13日目の北の湖、千秋楽の朝潮で、12日目には横綱若乃花を寄り切っています(相撲レファレンスの場所別の取組)。
2度目は1983年初場所、決定戦で朝潮を破る
1983年初場所は初日に敗れたあと14連勝し、14勝1敗で並んだ関脇朝潮を決定戦で寄り切りました。
初日は北天佑に敗れ、8日目の本割でも朝潮に勝っています(相撲レファレンスの場所別の取組)。本人は2022年の会見で「賜杯を抱くことだって誰でも夢じゃない」と話しました(日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日))。
綱取りの1983年春場所と21連勝
優勝翌場所の1983年春場所は11勝4敗で、横綱には届きませんでした。連勝は21まで伸びています。
相撲レファレンスの場所別の取組の日ごとの白星を数えると、1983年初場所2日目から春場所7日目まで21連勝しています(決定戦は数えていません)。その後、3度目の優勝はありませんでした。横綱の地位については横綱とはで解説しています。かど番1回で陥落し、28歳で引退
1985年春場所に大関で初めて負け越し、かど番の夏場所を途中で休んで、関脇へ落ちました。
春場所は6日目まで5勝1敗から9連敗して5勝10敗、かど番の夏場所は3勝4敗8休でした。関脇に落ちた7月・9月場所は全休し、東前頭10枚目に下がった九州場所で初日から3連敗、4日目の不戦敗のあと引退しています(相撲レファレンスの場所別の取組)。引退は28歳のときです。
通算成績と受賞歴|561勝352敗102休、三賞6回・金星6個
通算は87場所で561勝352敗102休、幕内は49場所で395勝249敗80休で、三賞6回・金星6個です。
| 地位 | 在位 | 成績 | 主な記録 |
|---|---|---|---|
| 大関 | 22場所 | 212勝110敗8休 | 優勝1・準優勝1 |
| 関脇 | 10場所 | 68勝47敗35休 | 優勝1・技能賞1・殊勲賞1 |
| 小結 | 1場所 | 7勝8敗 | — |
| 前頭 | 16場所 | 108勝84敗37休 | 準優勝1・殊勲賞2・敢闘賞2・金星6 |
| 十両 | 9場所 | 70勝50敗15休 | 十両優勝1 |
| 幕下 | 10場所 | 45勝18敗7休 | 幕下優勝1 |
| 三段目以下 | 19場所 | 51勝35敗 | 前相撲1場所を含む |
| 合計 | 87場所 | 561勝352敗102休 | — |
※出典:相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計(2026年10月12日取得)。合計と幕内の数字は日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」の戦歴・受賞歴と一致
三賞6回の場所
三賞は殊勲賞3回・敢闘賞2回・技能賞1回の計6回で、技能賞は初優勝の1981年秋場所です。
| 場所 | 番付 | 成績 | 受賞 |
|---|---|---|---|
| 1977年11月 | 東前頭1 | 10勝5敗 | 殊勲賞(金星1) |
| 1978年5月 | 西前頭6 | 12勝3敗 | 殊勲賞(金星1) |
| 1980年1月 | 西前頭14 | 12勝3敗 | 敢闘賞(準優勝) |
| 1980年3月 | 東前頭1 | 10勝5敗 | 敢闘賞 |
| 1980年5月 | 西関脇 | 10勝5敗 | 殊勲賞 |
| 1981年9月 | 東関脇 | 12勝3敗 | 技能賞(優勝) |
※出典:相撲レファレンス(Sumo Reference)の集計(2026年10月12日取得)。回数は日本相撲協会公式「歴代大関 琴風 豪規」の戦歴・受賞歴と一致
金星は北の湖から3つ
金星6個の内訳は、北の湖から3個、輪島から2個、若乃花(2代)から1個です。
| 場所 | 日 | 相手 | 決まり手 |
|---|---|---|---|
| 1977年11月 | 4日目 | 北の湖 | 寄り倒し |
| 1978年3月 | 2日目 | 北の湖 | 寄り切り |
| 1978年5月 | 11日目 | 輪島 | 押し出し |
| 1980年11月 | 8日目 | 北の湖 | 寄り切り |
| 1981年1月 | 3日目 | 輪島 | 寄り倒し |
| 1981年1月 | 7日目 | 若乃花 | 寄り切り |
※出典:相撲レファレンスの場所別の取組(2026年10月12日取得)。金星の数は協会公式の6個と一致
相撲の特徴|左四つのがぶり寄り、勝ち星の7割が寄り
記録のある勝ち471番のうち寄り切りが263番、寄り倒しが72番で、合わせて約71%を占めます。
| 決まり手 | 勝ち数 | 記録のある白星に占める割合 |
|---|---|---|
| 寄り切り | 263 | 55.8% |
| 押し出し | 74 | 15.7% |
| 寄り倒し | 72 | 15.3% |
| 上手投げ | 15 | 3.2% |
| 突き出し | 9 | 1.9% |
※出典:相撲レファレンスの決まり手集計(決まり手の記録がある勝ち471番が分母。不戦勝2を含む、2026年10月12日取得)
分母が通算561勝と合わない理由
相撲レファレンスの決まり手集計は、決まり手が記録されている471番の白星だけを数えています。通算561勝との差の90勝は、決まり手の記録がない取組です。割合は471番を分母に計算しています。
寄り切りと寄り倒しで勝つ相撲
協会公式の得意技は「左四つ・寄り」で、時事通信は左四つからのがぶり寄りと伝えています。
日本経済新聞(共同通信配信、2022年3月21日)は、がぶり寄りで這い上がって大関になったと書いています。負けた取組の決まり手は寄り切り107、寄り倒し28、上手投げ23の順です(相撲レファレンスの決まり手集計)。決まり手の形は寄り切りと寄り倒しで解説しています。「ペコちゃん」と歌手の顔
時事通信によると愛称は「ペコちゃん」で、歌手として「まわり道」などのヒット曲もあります。
時事ドットコムの写真特集は、琴風を「地獄を見た男」と呼ぶ一方で、愛称の「ペコちゃん」と、「まわり道」などのヒット曲を出した歌手としての顔も紹介しています。琴風についてよくある質問
琴風は「ことかぜ ごうき」と読む元大関で、2024年5月に協会を退職し、いまはNHKの解説者です。
Q. 琴風の読み方と本名は?
A. しこ名は「ことかぜ ごうき」と読みます(日本相撲協会公式の歴代大関一覧)。本名は中山浩一で、親方時代は年寄名の「尾車浩一」、退職後のNHK中継では「琴風浩一」の名で出ています。
Q. 琴風は何歳ですか?
A. 1957年4月26日生まれで、2026年10月12日時点で69歳です。入門は14歳、新十両は18歳の1975年11月場所、新大関は24歳の1981年11月場所、引退は28歳の1985年11月場所でした。2024年5月に67歳で協会を退職しました。
Q. 琴風は今何をしていますか?
A. 2024年5月11日付で日本相撲協会を退職し、2024年11月の九州場所からNHK大相撲中継の解説者を務めています。デイリースポーツは2025年9月、舞の海秀平さんと組むことが多いと伝えています。協会の年寄一覧と参与の一覧に、中山浩一の名前はありません。
Q. 琴風はまだ尾車親方ですか?尾車部屋はありますか?
A. 琴風はもう尾車親方ではありません。いまの尾車親方は2024年5月17日に襲名した元幕内琴恵光で、佐渡ヶ嶽部屋に所属しています。琴風が1987年に興した尾車部屋は2022年2月7日付で閉じ、弟子は押尾川部屋へ7人、二所ノ関部屋へ10人が移りました。
Q. 琴風の優勝は何回ですか?
A. 幕内優勝は2回です。1回目は1981年9月場所に関脇で12勝3敗、2回目は1983年1月場所に大関で14勝1敗で、決定戦で朝潮を破りました。このほか十両優勝が1回(1979年11月)、幕下優勝が1回(1979年9月)、幕内の準優勝が2回あります。
Q. 琴風はなぜ横綱になれなかったのですか?
A. 2度目の優勝の翌場所にあたる1983年3月場所は11勝4敗で、横綱昇進には届きませんでした。その後も1984年1月場所まで6場所続けて11勝以上を挙げましたが、3度目の優勝はありませんでした。1985年3月場所に大関で初めて負け越し、夏場所の途中休場で関脇へ落ちています。
Q. 琴風と琴櫻の関係は?
A. 琴風の師匠は佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴櫻)です。中日スポーツの北の富士コラムによると、幕下に落ちた琴風を巡業で付け人にし、「今が大事な時なんです」と話しました。琴風は佐渡ヶ嶽部屋から出た昭和以降の大関の2人目で、尾車部屋は1987年に佐渡ヶ嶽部屋から分かれてできた部屋です。
まとめ|琴風は優勝2回の元大関、尾車部屋を閉じて今は解説者
琴風は優勝2回・大関22場所の元大関で、尾車部屋を閉じ、協会を退職して、いまはNHKの解説者です。
左膝のけがで幕下30枚目まで落ちてから、幕下と十両で続けて優勝して幕内へ戻り、1981年秋場所の初優勝で大関に上がりました。引退後は年寄「尾車」として尾車部屋を興して豪風・嘉風らを育て、理事・事業部長も務めました。部屋は2022年2月に閉じ、2024年5月11日付で協会を退職しています。いまの尾車親方は元琴恵光です。
NHK解説での動きがあれば、この記事に追記します。同じ時代に土俵を去った力士は引退した力士一覧、番付の仕組みは番付とは、中学生の琴風が東京へ帰された九州場所や、相撲が国技と呼ばれる理由もあわせて読めます。

