横綱とは、大相撲の番付で最も上に置かれる力士の地位です。令和8年(2026年)九月場所の番付では、東の大の里と西の豊昇龍の2人が横綱に在位しています。日本相撲協会の歴代横綱一覧に載っているのは、初代の明石志賀之助から第75代の大の里まで75人です。この記事では、いまの横綱の顔ぶれ、横綱になる条件と決まり方、地位が下がらない理由、横綱がいなかった時期、歴史、雲龍型と不知火型の違い、そして歴代75人の全員を、協会の公式データと報道の出典付きで整理します。
この記事でわかること
- 現在の横綱は何人で誰なのか(令和8年九月場所の番付)
- 横綱になる条件と、横綱審議委員会の推薦から決定までの流れ
- 横綱の地位が下がらない仕組みと、成績が振るわないときの横審の決議
- 「横綱不在」の2つの意味と、横綱土俵入りの雲龍型・不知火型の違い
- 歴代横綱75人の全員の一覧(代・四股名・出身地・在位・優勝回数)
横綱とは?大相撲の最高位で、大関に落ちない地位
横綱とは大相撲の力士の最高位で、大関以下の力士と違い、成績が悪くても地位が下がらない特別な地位です。
辞典の説明もこの2点でそろっています。デジタル大辞泉は横綱を「相撲で、力士の最高位」とし、百科事典マイペディアは「大関以下と異なり,地位は下がらない」と書いています。
大関以下と異なり,地位は下がらない
出典:百科事典マイペディア「横綱」(コトバンク)
番付の階級と見方そのものは番付とは?相撲の階級と見方で詳しく扱っています。
横綱にはもう1つ、ほかの地位にない役目があります。綱を締めて行う横綱土俵入りです。国立国会図書館の資料によると、「横綱」の文字が番付に初めて載ったのは明治23(1890)年5月場所、協会の規則で地位として明文化されたのは明治42(1909)年です(国立国会図書館デジタルコレクション)。
現在の横綱は何人?令和8年九月場所は大の里と豊昇龍の2人
現在の横綱は、令和8年九月場所の番付で東の大の里(第75代)と西の豊昇龍(第74代)の2人です。
ただし、九月場所は豊昇龍が初日から休場しているため、土俵に上がっている横綱は大の里1人です。番付上の人数と、場所で相撲を取っている横綱の人数は分けて見る必要があります。いまの横綱の顔ぶれは、協会の番付表(日本相撲協会「番付表」)で確認できます。
| 番付 | 代 | 四股名 | 部屋 | 出身地 | 新横綱 | 幕内優勝 | 令和8年九月場所 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 東横綱 | 第75代 | 大の里泰輝 | 二所ノ関 | 石川県河北郡津幡町 | 令和7年七月場所 | 5回 | 出場 |
| 西横綱 | 第74代 | 豊昇龍智勝 | 立浪 | モンゴル・ウランバートル | 令和7年三月場所 | 2回 | 初日から休場 |
現役の関取全体を見たいときは現役力士一覧、場所ごとの顔ぶれは大相撲の番付表・最新版にまとめています。
豊昇龍は九月場所を初日から休場している
豊昇龍は右膝の手術から回復が間に合わず、令和8年九月場所を初日から休場しています。横綱昇進後5度目の休場です。
デイリースポーツによると、休場は9月11日の取組編成会議で審判部長の浅香山親方が明かしました。7月27日に右膝内側側副靱帯損傷の修復手術を受けており、7月の名古屋場所に続く休場で、初日からの休場は初めてです。横綱在位10場所のうち半数が休場で、横綱として優勝はまだありません(デイリースポーツ)。経緯は豊昇龍が秋場所を初日から休場、ほかの休場者は今場所の休場力士一覧で追っています。
次の横綱候補は?九月場所で大関の霧島が綱取りに挑んでいる
次の横綱の候補として報じられているのは、令和8年九月場所で綱取りに挑んでいる東大関の霧島です。
北海道新聞は、霧島が九月場所で綱取りに挑むと伝えています(北海道新聞)。九月場所の大関は東の霧島、西の琴櫻、東の安青錦の3人です(協会番付表)。昇進するかどうかは、千秋楽(9月27日)のあとの横綱審議委員会と協会の判断で決まるため、この記事では結果を予想しません。
横綱になる条件は?横審の内規と昇進の流れ
横綱になる条件は、横綱審議委員会の内規で「品格・力量が抜群」と「大関で2場所連続優勝か、それに準ずる好成績」の2つとされています。
日本相撲協会の公式サイトは「大相撲クイズ」の解説で、横審が横綱を推薦する内規として「品格・力量が抜群であること」「大関で二場所連続優勝、またはこれに準ずる好成績を挙げる」の2つを挙げています(日本相撲協会 2024年12月24日)。報道でも、日本経済新聞が大の里の昇進時に内規を「2場所連続優勝か、それに準ずる好成績」と伝えています(日本経済新聞 2025年5月23日)。
推薦から推挙までの形には歴史があります。国立国会図書館の資料は、江戸時代の寛政期以降は吉田司家が横綱免許状を出す権限を持ち、「昭和26(1951)年からは、横綱審議委員会の推薦に基づき、日本相撲協会が横綱を推挙している」と説明しています(国立国会図書館デジタルコレクション p.14)。
いちばん新しい昇進である大の里の例を、日付で並べると次のとおりです。
| 段階 | 誰が | 大の里の例 |
|---|---|---|
| ① 大関で好成績を挙げる | 力士 | 2025年5月23日、夏場所で2場所連続優勝を決める |
| ② 横綱に推薦する | 横綱審議委員会 | 2025年5月26日、定例会合で満場一致で推薦 |
| ③ 横綱昇進を正式に決める | 日本相撲協会 | 2025年5月28日、名古屋場所の番付編成会議と臨時理事会で決定 |
| ④ 新横綱として場所に出る | 力士 | 令和7年七月場所が新横綱の場所 |
横綱は降格しない。その代わり引退で責任をとる
横綱は負け越しや休場が続いても大関に落ちないため、成績が戻らないときの進退は引退という形で決まります。
大関以下の力士は成績しだいで番付が上下しますが、横綱の地位は下がりません(百科事典マイペディア)。そのため、成績が振るわない横綱に対しては、番付ではなく横綱審議委員会の決議という形で意見が出されます。
中日スポーツによると、横審は不振が続く横綱に対し、委員の3分の2以上の決議があれば「激励」「注意」「引退勧告」などを出せます。2026年7月27日の横審では、名古屋場所で9勝6敗だった大の里と、2場所続けて休場した豊昇龍について話し合われましたが、大島理森委員長は「そういうことは今回は出しません」と語りました(中日新聞)。
直近で土俵を去った横綱は、第73代の照ノ富士です。協会の歴代横綱一覧では在位が令和3年9月〜令和7年1月、引退は令和7年(2025年)一月場所です。引退後の歩みは照ノ富士とは?に、最近の引退者は引退した力士一覧にまとめています。
横綱不在はあった?番付上の空位と全員休場は別
横綱不在には、在位する横綱が1人もいない空位と、横綱はいるが全員が休場する場合の2種類があります。
1つ目の空位は、協会の歴代横綱一覧の在位期間で見ると、平成4年5月〜平成5年1月の5場所です。第63代 旭富士の在位終了が平成4年1月、第61代 北勝海が平成4年3月で、次の第64代 曙の在位開始が平成5年3月だからです。
2つ目の全員休場は、令和8年(2026年)夏場所に起きました。時事通信によると、大の里が左肩のけがで初日から、豊昇龍が右太もも裏の損傷で2日目から休場し、横綱がいない場所になりました。複数の横綱がいずれも休むのは、2021年春場所の白鵬・鶴竜以来です(時事通信)。
| 種類 | 何が起きているか | 例 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 在位する横綱がいない(空位) | 横綱の地位に就いている力士が1人もいない | 平成4年5月〜平成5年1月の5場所 | 協会の歴代横綱一覧の在位期間 |
| 横綱が全員休場 | 横綱はいるが、全員が土俵に上がらない | 令和8年(2026年)夏場所/2021年春場所(白鵬・鶴竜) | 時事通信(2026年5月11日) |
横綱の歴史:免許から番付の最高位へ
横綱は、はじめは土俵入りを許す免許として始まり、明治に番付へ載って、明治42年に地位として明文化されました。
協会の歴代横綱一覧で在位の年月が入る最初の横綱は、第4代の谷風梶之助と第5代の小野川喜三郎で、2人とも在位開始は寛政元年(1789年)11月です。相撲博物館には、寛政4年(1792年)刊の「増補横綱図式」に谷風と小野川がはじめて土俵入りを披露した様子が描かれていると紹介されています。
| 年 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 寛政元年(1789年)11月 | 谷風梶之助・小野川喜三郎の横綱在位が始まる | 協会 歴代横綱 |
| 寛政4年(1792年) | 「増補横綱図式」に、谷風と小野川がはじめて土俵入りを披露した様子 | 相撲博物館 |
| 寛政期以降 | 吉田司家が横綱免許状を出す権限を持つ | 国立国会図書館 |
| 明治23年(1890年)5月場所 | 番付に「横綱」の表記が初めて登場 | 国立国会図書館 |
| 明治37年(1904年)1月場所 | 常陸山と二代目梅ヶ谷が横綱へ同時昇進 | 国立国会図書館 |
| 明治42年(1909年) | 協会の規則に明文化され、地位として確立 | 国立国会図書館 |
| 昭和26年(1951年) | 横綱審議委員会の推薦に基づき、協会が横綱を推挙する形に | 国立国会図書館 |
初代横綱は明石志賀之助。第3代までは在位の記録がない
協会の歴代横綱一覧で初代横綱とされているのは明石志賀之助で、第3代までの3人は在位の年月が空欄です。
第2代は綾川五郎次、第3代は丸山権太左衛門です。初代の出身地は「栃木県宇都宮市?」、第2代は「栃木県栃木市?」と、協会の一覧でも疑問符が付いています。記録が乏しい時代の横綱で、在位が確かめられるのは第4代の谷風からです。
「横綱」の名前は、腰に締める綱から
「横綱」という語は地位の名前であると同時に、横綱が土俵入りで腰に締める綱そのものも指しています。
日本大百科全書は横綱を、職業相撲の力士の最高位と、その力士が腰に着ける綱の両方として説明しています(コトバンク)。綱の素材や重さ、作り方は横綱の綱とは?素材・重さ・作り方で詳しく扱っています。
横綱土俵入りの型:雲龍型と不知火型の違い
横綱土俵入りには雲龍型と不知火型の2つがあり、背中の綱の輪の数と、せり上がるときの手の形が違います。
雲龍型は、綱の輪が1つ、せり上がりの際に右手を広げ、左手はわきばらにつけ、攻めと守りの姿勢を示すといわれます。不知火型は、綱の輪が2つで構成され、せり上がりの際に両手を広げ、攻めの姿勢を表すといわれます。
出典:相撲博物館「雲龍型と不知火型」展(令和6年)
攻めや守りを表すという意味づけは、博物館の説明も「といわれます」と伝聞の形で書いています。確かめられるのは、輪の数と手の形という見た目の違いです。
| 雲龍型 | 不知火型 | |
|---|---|---|
| 背中の綱の輪 | 1つ | 2つ |
| せり上がりの手 | 右手を広げ、左手はわきばらにつける | 両手を広げる |
| 博物館に展示された綱 | 北の湖の綱 | 隆の里の綱 |
| 現役・近年の横綱 | 大の里・豊昇龍(2026年1月6日 明治神宮) | 照ノ富士(明治神宮の奉納土俵入り) |
不知火型の横綱として一次資料と報道で確かめられるのは、相撲博物館が綱を展示した隆の里と、明治神宮で不知火型の奉納土俵入りをした照ノ富士です。現役の2人はどちらも雲龍型で、2026年1月6日の明治神宮の新春土俵入りも2人とも雲龍型でした(時事通信)。不知火型の歴代の人数は一次資料で確認できないため、ここでは挙げません。
歴代横綱一覧(初代〜第75代)
歴代横綱は、初代の明石志賀之助から第75代の大の里まで75人で、下の表は日本相撲協会の歴代横綱一覧をもとにした全員の一覧です。
在位は協会の一覧の表記のまま載せています。優勝の欄は協会の一覧で数字が入っている横綱だけで、大阪相撲での優勝は別に書かれています。
| 代 | 四股名 | 出身地 | 在位 | 優勝 |
|---|---|---|---|---|
| 第1代 | 明石志賀之助 あかし しがのすけ | 栃木県宇都宮市? | (記載なし) | ― |
| 第2代 | 綾川五郎次 あやがわ ごろうじ | 栃木県栃木市? | (記載なし) | ― |
| 第3代 | 丸山権太左衛門 まるやま ごんたざえもん | 宮城県登米市 | (記載なし) | ― |
| 第4代 | 谷風梶之助 たにかぜ かじのすけ | 宮城県仙台市 | 寛政元年11月〜寛政6年11月 | ― |
| 第5代 | 小野川喜三郎 おのがわ きさぶろう | 滋賀県大津市 | 寛政元年11月〜寛政9年10月 | ― |
| 第6代 | 阿武松緑之助 おうのまつ みどりのすけ | 石川県鳳珠郡能登町 | 文政11年3月〜天保6年10月 | ― |
| 第7代 | 稲妻雷五郎 いなずま らいごろう | 茨城県稲敷市 | 文政12年10月〜天保10年11月 | ― |
| 第8代 | 不知火諾右衛門 しらぬい だくえもん | 熊本県宇土市 | 天保11年11月〜天保15年1月 | ― |
| 第9代 | 秀の山雷五郎 ひでのやま らいごろう | 宮城県気仙沼市 | 弘化2年11月〜嘉永3年3月 | ― |
| 第10代 | 雲龍久吉 うんりゅう ひさきち | 福岡県柳川市 | 文久元年10月〜元治2年2月 | ― |
| 第11代 | 不知火光右衛門 しらぬい こうえもん | 熊本県菊池郡大津町 | 文久3年11月〜明治2年11月 | ― |
| 第12代 | 陣幕久五郎 じんまく きゅうごろう | 島根県松江市 | 慶応3年4月〜慶応3年11月 | ― |
| 第13代 | 鬼面山谷五郎 きめんざん たにごろう | 岐阜県養老町 | 明治2年4月〜明治3年11月 | ― |
| 第14代 | 境川浪右衛門 さかいがわ なみえもん | 千葉県市川市 | 明治10年1月〜明治14年1月 | ― |
| 第15代 | 梅ケ谷藤太郎(初代) うめがたに とうたろう | 福岡県朝倉市 | 明治17年5月〜明治18年5月 | ― |
| 第16代 | 西ノ海嘉治郎(初代) にしのうみ かじろう | 鹿児島県薩摩川内市 | 明治23年5月〜明治29年1月 | ― |
| 第17代 | 小錦八十吉 こにしき やそきち | 千葉県山武郡横芝光町 | 明治29年5月〜明治34年1月 | ― |
| 第18代 | 大砲万右衛門 おおづつ まんえもん | 宮城県白石市 | 明治34年5月〜明治41年1月 | ― |
| 第19代 | 常陸山谷右衛門 ひたちやま たにえもん | 茨城県水戸市 | 明治37年1月〜大正3年5月 | 1 |
| 第20代 | 梅ケ谷藤太郎(二代) うめがたに とうたろう | 富山県富山市 | 明治37年1月〜大正4年6月 | ― |
| 第21代 | 若島権四郎 わかしま ごんしろう | 千葉県市川市 | 明治38年6月〜明治40年1月 | 4(大阪相撲) |
| 第22代 | 太刀山峰右衛門 たちやま みねえもん | 富山県富山市 | 明治44年6月〜大正7年1月 | 9 |
| 第23代 | 大木戸森右衛門 おおきど もりえもん | 兵庫県神戸市 | 大正2年1月〜大正3年1月 | 10(大阪相撲) |
| 第24代 | 鳳谷五郎 おおとり たにごろう | 千葉県印西市 | 大正4年6月〜大正9年5月 | 2 |
| 第25代 | 西ノ海嘉治郎(二代) にしのうみ かじろう | 鹿児島県西之表市 | 大正5年5月〜大正7年5月 | 1 |
| 第26代 | 大錦卯一郎 おおにしき ういちろう | 大阪府大阪市 | 大正6年5月〜大正12年1月 | 5 |
| 第27代 | 栃木山守也 とちぎやま もりや | 栃木県栃木市 | 大正7年5月〜大正14年5月 | 9 |
| 第28代 | 大錦大五郎 おおにしき だいごろう | 愛知県弥富市 | 大正7年5月〜大正11年1月 | 6(大阪相撲) |
| 第29代 | 宮城山福松 みやぎやま ふくまつ | 岩手県一関市 | 大正11年5月〜昭和6年1月 | 2+4(大阪相撲) |
| 第30代 | 西ノ海嘉治郎(三代) にしのうみ かじろう | 鹿児島霧島市 | 大正12年5月〜昭和3年10月 | 1 |
| 第31代 | 常ノ花寛市 つねのはな かんいち | 岡山県岡山市 | 大正13年5月〜昭和5年5月 | 10 |
| 第32代 | 玉錦三右衛門 たまにしき さんえもん | 高知県高知市 | 昭和8年1月〜昭和13年5月 | 9 |
| 第33代 | 武蔵山武 むさしやま たけし | 神奈川横浜市 | 昭和11年1月〜昭和14年5月 | 1 |
| 第34代 | 男女ノ川登三 みなのがわ とうぞう | 茨城県つくば市 | 昭和11年5月〜昭和17年1月 | 2 |
| 第35代 | 双葉山定次 ふたばやま さだじ | 大分県宇佐市 | 昭和13年1月〜昭和20年11月 | 12 |
| 第36代 | 羽黒山政司 はぐろやま まさじ | 新潟県新潟市 | 昭和17年1月〜昭和28年9月 | 7 |
| 第37代 | 安藝ノ海節男 あきのうみ せつお | 広島県広島市 | 昭和18年1月〜昭和21年11月 | 1 |
| 第38代 | 照國万蔵 てるくに まんぞう | 秋田県湯沢市 | 昭和18年1月〜昭和28年1月 | 2 |
| 第39代 | 前田山英五郎 まえだやま えいごろう | 愛媛県八幡浜市 | 昭和22年11月〜昭和24年10月 | 1 |
| 第40代 | 東富士謹一 あずまふじ きんいち | 東京都台東区 | 昭和24年1月〜昭和29年9月 | 6 |
| 第41代 | 千代の山雅信 ちよのやま まさのぶ | 北海道松前郡福島町 | 昭和26年9月〜昭和34年1月 | 6 |
| 第42代 | 鏡里喜代治 かがみさと きよじ | 青森県三戸郡三戸町 | 昭和28年3月〜昭和33年1月 | 4 |
| 第43代 | 吉葉山潤之輔 よしばやま じゅんのすけ | 北海道石狩市 | 昭和29年3月〜昭和33年1月 | 1 |
| 第44代 | 栃錦清隆 とちにしき きよたか | 東京都江戸川区 | 昭和30年1月〜昭和35年5月 | 10 |
| 第45代 | 若乃花幹士(初代) わかのはな かんじ | 青森県弘前市 | 昭和33年3月〜昭和37年3月 | 10 |
| 第46代 | 朝潮太郎 あさしお たろう | 鹿児島大島郡徳之島町 | 昭和34年5月〜昭和36年11月 | 5 |
| 第47代 | 柏戸剛 かしわど つよし | 山形県鶴岡市 | 昭和36年11月〜昭和44年7月 | 5 |
| 第48代 | 大鵬幸喜 たいほうこうき | 北海道川上郡弟子屈町 | 昭和36年11月〜昭和46年5月 | 32 |
| 第49代 | 栃ノ海晃嘉 とちのうみてるよし | 青森県南津軽郡田舎館村 | 昭和39年3月〜昭和41年11月 | 3 |
| 第50代 | 佐田の山晋松 さだのやましんまつ | 長崎県南松浦郡新上五島町 | 昭和40年3月〜昭和43年3月 | 6 |
| 第51代 | 玉の海正洋 たまのうみ まさひろ | 愛知県蒲郡市 | 昭和45年3月〜昭和46年9月 | 6 |
| 第52代 | 北の富士勝昭 きたのふじ かつあき | 北海道旭川市 | 昭和45年3月〜昭和49年7月 | 10 |
| 第53代 | 琴櫻傑将 ことざくらまさかつ | 鳥取県倉吉市 | 昭和48年3月〜昭和49年5月 | 5 |
| 第54代 | 輪島大士 わじま ひろし | 石川県七尾市 | 昭和48年7月〜昭和56年3月 | 14 |
| 第55代 | 北の湖敏満 きたのうみとしみつ | 北海道有珠郡壮瞥町 | 昭和49年9月〜昭和60年1月 | 24 |
| 第56代 | 若乃花幹士(二代) わかのはなかんじ | 青森県南津軽郡大鰐町 | 昭和53年7月〜昭和58年1月 | 4 |
| 第57代 | 三重ノ海剛司 みえのうみつよし | 三重県松阪市 | 昭和54年9月〜昭和55年11月 | 3 |
| 第58代 | 千代の富士貢 ちよのふじみつぐ | 北海道松前郡福島町 | 昭和56年9月〜平成3年5月 | 31 |
| 第59代 | 隆の里俊英 たかのさととしひで | 青森県青森市 | 昭和58年9月〜昭和61年1月 | 4 |
| 第60代 | 双羽黒光司 ふたはぐろ こうじ | 三重県津市 | 昭和61年9月〜昭和62年11月 | 0 |
| 第61代 | 北勝海信芳 ほくとうみのぶよし | 北海道広尾郡広尾町 | 昭和62年7月〜平成4年3月 | 8 |
| 第62代 | 大乃国康 おおのくにやすし | 北海道河西郡芽室町 | 昭和62年11月〜平成3年7月 | 2 |
| 第63代 | 旭富士正也 あさひふじせいや | 青森県つがる市 | 平成2年9月〜平成4年1月 | 4 |
| 第64代 | 曙太郎 あけぼのたろう | 米国ハワイ・オアフ島 | 平成5年3月〜平成13年1月 | 11 |
| 第65代 | 貴乃花光司 たかのはなこうじ | 東京都中野区 | 平成7年1月〜平成15年1月 | 22 |
| 第66代 | 若乃花勝 わかのはなまさる | 東京都中野区 | 平成10年7月〜平成12年3月 | 5 |
| 第67代 | 武蔵丸光洋 むさしまるこうよう | 米国ハワイ・オアフ島 | 平成11年7月〜平成15年11月 | 12 |
| 第68代 | 朝青龍明徳 あさしょうりゅうあきのり | モンゴル・ウランバートル | 平成15年3月〜平成22年1月 | 25 |
| 第69代 | 白鵬翔 はくほうしょう | モンゴル・ウランバートル | 平成19年7月〜令和3年9月 | 45 |
| 第70代 | 日馬富士公平 はるまふじこうへい | モンゴル・ゴビアルタイ | 平成24年11月〜平成29年11月 | 9 |
| 第71代 | 鶴竜力三郎 かくりゅうりきさぶろう | モンゴル・スフバートル | 平成26年5月〜令和3年3月 | 6 |
| 第72代 | 稀勢の里寛 きせのさとゆたか | 茨城県牛久市 | 平成29年3月〜平成31年1月 | 2 |
| 第73代 | 照ノ富士春雄 てるのふじはるお | モンゴル・ウランバートル | 令和3年9月〜令和7年1月 | 10 |
| 第74代 | 豊昇龍智勝 ほうしょうりゅうともかつ | モンゴル・ウランバートル | 令和7年3月〜 | 2 |
| 第75代 | 大の里泰輝 おおのさとだいき | 石川県河北郡津幡町 | 令和7年7月〜 | 5 |
優勝回数が多い横綱は白鵬・大鵬・千代の富士
協会の一覧で優勝回数が最も多い横綱は、第69代の白鵬の45回で、第48代の大鵬32回、第58代の千代の富士31回が続きます。
白鵬の在位は平成19年7月〜令和3年9月です。現役では大の里が5回、豊昇龍が2回で、直近に引退した照ノ富士は10回でした。
日本出身・外国出身の横綱|外国出身は8人
協会の一覧の出身地欄で数えると、75人のうち外国出身の横綱は8人で、残る67人が日本出身です。
外国出身の8人は、米国ハワイ出身の第64代 曙と第67代 武蔵丸、モンゴル出身の第68代 朝青龍、第69代 白鵬、第70代 日馬富士、第71代 鶴竜、第73代 照ノ富士、第74代 豊昇龍です。最初の外国出身の横綱は、在位開始が平成5年3月の曙です。
日本出身の横綱で最後だったのは、第72代の稀勢の里(在位開始 平成29年3月)でした。そのあとの照ノ富士と豊昇龍はモンゴル出身で、次の日本出身の横綱は令和7年7月に在位を始めた第75代の大の里です。
横綱についてよくある質問
Q. 横綱は現在何人いますか?
A. 令和8年九月場所の番付では、東の大の里と西の豊昇龍の2人です。九月場所は豊昇龍が初日から休場しているため、土俵に上がっている横綱は大の里だけです。九月場所のあとの番付は、霧島の綱取りの結果しだいで変わる可能性があります。
Q. 横綱は誰が決めるのですか?
A. 横綱審議委員会が推薦し、日本相撲協会が番付編成会議と理事会で正式に決めます。横審の内規は「品格・力量が抜群であること」と「大関で二場所連続優勝、またはこれに準ずる好成績」を推薦の条件にしています(協会公式サイト)。大の里のときは、2025年5月26日に横審が満場一致で推薦し、28日に協会が決定しました。横審の推薦に基づいて協会が推挙する形は、昭和26年(1951年)から続いています。
Q. 横綱が負け越したら大関に落ちますか?
A. 落ちません。横綱は大関以下と違い、地位が下がらない決まりです。その代わり、不振が続くと横綱審議委員会が委員の3分の2以上の決議で「激励」「注意」「引退勧告」などを出せます(中日スポーツ、2026年7月27日)。
Q. 2人が同時に横綱に昇進したことはありますか?
A. あります。国立国会図書館の資料によると、明治37年(1904年)1月場所で常陸山と二代目梅ヶ谷が同時に横綱へ昇進しました。江戸時代にも、谷風と小野川が同じ寛政元年11月に在位を始めています。
Q. 石川県出身の横綱は誰ですか?
A. 協会の一覧で石川県出身の横綱は3人です。第6代の阿武松緑之助(石川県鳳珠郡能登町)、第54代の輪島大士(石川県七尾市)、第75代の大の里(石川県河北郡津幡町)です。
Q. 照ノ富士はいつ引退しましたか?
A. 令和7年(2025年)一月場所で引退しました。協会の一覧では横綱在位が令和3年9月〜令和7年1月、幕内優勝は10回です。
Q. いまの横綱の土俵入りは雲龍型と不知火型のどちらですか?
A. 大の里と豊昇龍は、どちらも雲龍型です。2026年1月6日の明治神宮の新春土俵入りも、2人とも雲龍型でした(時事通信)。近年の不知火型の横綱には照ノ富士がいます。
Q. 横綱の制度ができたのはいつですか?
A. 番付に「横綱」の文字が初めて載ったのは明治23年(1890年)5月場所で、協会の規則で地位として明文化されたのは明治42年(1909年)です(国立国会図書館)。

