炎鵬は、身長167cmという大相撲屈指の小兵ながら、投げと捻りで大型力士を倒してきた伊勢ヶ濱部屋の力士です。2023年に頸部の大けがを負って番付は序ノ口まで下がりましたが、そこから3年をかけて関取に戻りました。この記事では、炎鵬のプロフィールと経歴、得意技、そして史上初といわれる復帰までの軌跡を、日本相撲協会の公式記録をもとに整理します。
📖 この記事でわかること
- 炎鵬の本名・出身・体格などの基本プロフィールと四股名の由来
- 2026年7月場所終了時点の番付と、直近6場所の成績
- 下手投げ・捻り・足取りという小兵ならではの取り口の中身
- 脊髄損傷から序ノ口へ落ち、関取に戻るまでの3年間
- 宮城野部屋から伊勢ヶ濱部屋へ移った経緯と、「鵬」の字を残した理由
炎鵬とは?167cmの小兵が土俵を沸かせる伊勢ヶ濱部屋の力士
炎鵬は、167cmの小兵ながら投げと捻りで大型力士を倒す伊勢ヶ濱部屋の十両力士です。
石川県金沢市の出身で、2017年3月場所に初土俵を踏み、2019年5月場所で新入幕を果たしました。最高位は東前頭4枚目です。
日本相撲協会の公式プロフィールに基づく基本情報は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 炎鵬 友哉(えんほう ゆうや) |
| 本名 | 中村 友哉(なかむら ゆうや) |
| 生年月日 | 1994年10月18日(31歳) |
| 出身地 | 石川県金沢市 |
| 体格 | 167.0cm・107.0kg |
| 所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋(入門時は宮城野部屋) |
| 得意技 | 左四つ・下手投げ |
| 初土俵 | 2017年3月場所 |
| 新十両 | 2018年3月場所 |
| 新入幕 | 2019年5月場所 |
| 最高位 | 東前頭4枚目(2020年3月場所) |
幕内力士の体格は180cm・160kg前後が目安とされ、炎鵬はそこから身長で10cm以上、体重では50kg以上も下回ります。それでも幕内に9場所在位し、三賞の技能賞を受けています。番付や地位の呼び方が分かりにくいときは、番付とは?相撲の階級・仕組み・見方もあわせてご覧ください。
Q. 「炎鵬」はなんと読みますか?
A. 「えんほう」と読みます。四股名は「炎鵬 友哉(えんほう ゆうや)」で、下の名は2017年7月場所から2024年1月場所までは「晃(あきら)」を名乗っていました。2024年3月場所から本名の「友哉」に戻しています。
炎鵬の現在の番付・成績|2026年7月場所終了時点で西十両11枚目
炎鵬の現在の番付は、2026年7月場所終了時点で西十両11枚目(関取)です。
同場所は8勝7敗で勝ち越しました。5月場所に続く2場所連続の勝ち越しで、関取の地位を安定させつつあります。
直近6場所の番付と成績は次のとおりです。
| 場所 | 番付 | 成績 |
|---|---|---|
| 2026年7月場所 | 西十両11枚目 | 8勝7敗 |
| 2026年5月場所 | 西十両14枚目 | 8勝7敗 |
| 2026年3月場所 | 東幕下4枚目 | 5勝2敗 |
| 2026年1月場所 | 東幕下11枚目 | 6勝1敗 |
| 2025年11月場所 | 西幕下17枚目 | 5勝2敗 |
| 2025年9月場所 | 東幕下31枚目 | 5勝2敗 |
通算の記録は下表のとおりです。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 生涯成績 | 300勝253敗80休(56場所) |
| 幕内成績 | 61勝74敗(9場所) |
| 三賞 | 技能賞1回(2019年7月場所) |
| 金星 | 0個 |
| 各段優勝 | 序ノ口・序二段・三段目で各1回(いずれも7戦全勝) |
※出典:日本相撲協会公式データ(2026年7月場所終了時点)
次の場所(令和八年九月場所)に向けて
次の九月場所は2026年9月13日が初日で、新しい番付は8月31日に発表されます。
会場は東京・両国国技館です。西十両11枚目からの勝ち越しなので、九月場所の番付は十両の中位から上位に置かれることが見込まれます。幕内に戻るには十両上位まで番付を上げたうえで大きく勝ち越す必要があり、九月場所ですぐに再入幕という位置ではありません。最新の顔ぶれは大相撲の番付表・最新版で確認できます。
Q. 炎鵬は現役ですか?引退したのですか?
A. 現役です。2026年7月場所も西十両11枚目として15日間を取り切り、8勝7敗で勝ち越しています。長期の休場が続いた時期がありましたが、引退はしていません。
炎鵬の相撲スタイルと得意技|下手投げ・捻り・足取りで魅せる技術
炎鵬の得意技は左四つからの下手投げで、捻りや足取りで体重差をひっくり返します。
まわしを引いて真っ向から寄るのではなく、動き続けて相手の体勢を横から崩すのが持ち味です。
入門後は「ひねり王子」と呼ばれ、捻り技を左右どちらからでも、上手からも下手からも繰り出します。宮城野部屋時代の師匠からは「絶対に止まってはダメだ」と指導されたと伝えられ、止まらずに動くことが小兵の生きる道だという教えを体現してきました。
過去6場所の決まり手の内訳は、押し出しが30%、下手投げが11%、寄り切りが11%、残りがそのほかの技です。投げのイメージが強い一方で、最も多いのは前に出て押し切る押し出しで、正攻法で圧力をかける相撲も土台にあります。
▍炎鵬の勝ちパターン(左四つからの下手投げ)
① 低く当たって左を差す
相手の腕の下に潜り込み、左手を相手の脇の下へ入れる
② 頭を下げて右で抱える
重心をさらに落とし、相手の体を右腕で抱えて動きを止める
③ 遠心力で下手投げ
頭を土俵すれすれまで下げ、体を回して相手を倒す
※下手投げは日本相撲協会が定める決まり手のひとつ。まわしを下手から引いて投げる技で、自分より重い相手にも通用する数少ない技とされます。
弱点もはっきりしています。巨漢力士の圧力をまともに受けると残せず、抱え込まれた時点で勝負が決まってしまう相撲が少なくありません。取り口を研究されると苦しくなるという指摘も、幕内在位中から解説者に繰り返されてきました。
記憶に残る一番
炎鵬の相撲を象徴するのは、体重差50kgをものともせずに相手の足を取った一番です。
13日目の阿炎戦では、自分より約50kg重い相手の右足を両手で抱え、そのまま持ち上げて土俵の外へ運びました。決まり手は足取りです。2019年5月場所4日目には180kgの大翔鵬を下手投げで倒しており、2020年2月の日本大相撲トーナメントでは、部屋の兄弟子だった横綱・白鵬を下手投げで破っています。
Q. 炎鵬は立ち合いで変化することが多いのですか?
A. むしろ逆で、めったに変化しない力士として知られています。2020年3月場所で変化した際には、意外だと報じられたほどでした。小兵ながら真正面から当たる相撲を基本にしています。
炎鵬の入門から幕内躍進まで|白鵬の内弟子としてスピード出世
炎鵬は金沢学院大学から横綱・白鵬の内弟子として入門し、所要6場所で十両に上がりました。
学生時代にすでに世界相撲選手権の軽量級を2連覇するなど、10のタイトルを獲得しています。
相撲を始めたのは5歳のときで、兄の影響でした。金沢市立西南部中学校では、のちに幕内で活躍する輝と同学年。3年生のときには石川県代表として全国大会の団体優勝を経験しています。高校時代には世界ジュニア相撲選手権の軽量級で優勝しましたが、当時は体が小さすぎるという理由で角界からの勧誘はありませんでした。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2017年3月場所 | 初土俵(宮城野部屋・白鵬の内弟子) |
| 2017年5月場所 | 序ノ口優勝(7戦全勝) |
| 2017年7月場所 | 序二段優勝(7戦全勝) |
| 2017年9月場所 | 三段目優勝(7戦全勝)・初土俵から21連勝 |
| 2018年3月場所 | 新十両(幕下付出を除き所要6場所は史上最速タイ) |
| 2019年5月場所 | 新入幕(金沢市出身では出島以来22年ぶり) |
| 2019年7月場所 | 9勝6敗で幕内初勝ち越し・技能賞 |
| 2020年3月場所 | 東前頭4枚目(最高位) |
初土俵から3場所続けて7戦全勝で各段優勝を果たし、連勝は21で止まりました。新十両を決めた2018年1月場所は東幕下6枚目で4勝3敗と、通常なら昇進に届かない成績でしたが、十両からの陥落者が多かった事情もあって昇進が決まっています。2019年7月場所の幕内初勝ち越しは、体重100kg未満の力士としては1997年9月場所の舞の海以来22年ぶりの出来事でした。
師匠・白鵬と「炎鵬」という四股名
「炎鵬」は、師匠だった白鵬が「炎のような相撲を取れ」との願いを込めて名づけた四股名です。
入門の決め手も白鵬の言葉でした。就職活動をしていた大学4年時、「相撲は今しかできないぞ、人生かけてみろ」と誘われたことが背中を押したと語っています。もうひとつの動機は、同じ小兵の兄弟子・石浦への憧れでした。入門後は白鵬から技術を直接教わり、石浦からは体幹の鍛え方を学んでいます。小柄な体で幕内まで上がった土台には、この二人の存在がありました。
Q. 炎鵬の下の名前が変わったのはなぜですか?
A. 2017年7月場所から名乗った「晃」は、相撲道場で慕っていた5年先輩の名前を受け継いだものと伝えられます。その先輩は入門の9年前に事故で亡くなっていました。2024年3月場所からは本名の「友哉」に戻しています。
首の大けがから史上初の「序ノ口からの関取復帰」へ
炎鵬は頸部の負傷で序ノ口まで番付を下げ、2026年5月場所に関取へ戻りました。
幕内を経験した力士が序ノ口まで落ちてから十両に復帰した例は、公式記録上これが初めてとされます。
脊髄損傷と7場所連続の全休
2023年5月場所で頸部椎間板ヘルニアと脊髄損傷を負い、そこから7場所連続で全休しました。
その4か月前、2023年1月場所中には右眼窩底を骨折して手術を受けています。続く5月場所は西十両3枚目で0勝10敗5休。診断は約3か月の加療を要するというもので、複数の医師を訪ねた結果、手術を避けて回復を目指す道を選びました。番付は場所ごとに下がり、十両から幕下、三段目、序二段へと落ちていきます。休場が番付にどう影響するかは、この3年間の推移そのものに表れています。
▍炎鵬の番付の推移(2023年3月場所〜2026年7月場所)
※各場所に所属した段を示したもの(十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口)。2023年7月場所から2024年5月場所までは全休。日本相撲協会公式データより作成。
序ノ口からの再出発と、史上初の関取復帰
2024年7月場所に序ノ口で土俵へ戻り、そこから約2年をかけて関取に復帰しました。
西序ノ口13枚目で迎えたこの場所は、約420日ぶりの本場所出場でした。以後は序二段、三段目、幕下と、6勝1敗や5勝2敗を積み重ねて番付を上げていきます。途中、2025年5月場所で復帰後初の負け越しを喫し、7月場所では左脚を剥離骨折して途中休場するなど、順調一辺倒ではありませんでした。
2026年3月場所を東幕下4枚目で5勝2敗とし、場所後の3月25日の番付編成会議で3年ぶりの十両復帰が決まります。幕内を経験した力士が序ノ口まで番付を下げたのち関取に戻った例は、公式記録上これが初めてとされます。大きく番付を下げてから復帰した例としては、序二段から大関・横綱へ戻った照ノ富士や、序二段から幕内に復帰した宇良がいますが、いずれも序ノ口までは下がっていません。
そして2026年5月場所13日目、明生を下手投げで下して19場所ぶりの十両勝ち越しを決めました。この場所の詳細は炎鵬が夏場所で3年ぶり勝ち越し——脊髄損傷・序ノ口転落から復活した「19場所」の軌跡にまとめています。
Q. 「史上初」とは具体的に何が初めてなのですか?
A. 幕内を経験した力士が、序ノ口まで番付を下げたのちに関取(十両)へ復帰したという点が初めてとされます。番付を大きく下げてからの復帰そのものには前例がありますが、序ノ口まで落ちた例は確認されていません。
宮城野部屋から伊勢ヶ濱部屋へ|「鵬」の四股名を残した理由
炎鵬は宮城野部屋の閉鎖にともない、2024年4月から伊勢ヶ濱部屋に所属しています。
番付が下がっていた時期と部屋の移籍が重なった形でした。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2024年3月28日 | 宮城野部屋の関係者全員を、4月以降に伊勢ヶ濱部屋が無期限で預かることが決定 |
| 2025年6月9日 | 元横綱・照ノ富士が10代伊勢ヶ濱を襲名して部屋を継承 |
| 2026年1月場所 | 旧宮城野部屋出身の力士が一斉に「〜富士」へ改名(炎鵬は改名せず) |
| 2026年5月28日 | 預かりを解除し、関係者全員が正式に伊勢ヶ濱部屋の所属に |
移籍の経緯そのものは宮城野部屋が消滅——北青鵬暴力問題から2年、伊勢ケ浜部屋吸収の全経緯で詳しく整理しています。
2026年1月場所では、旧宮城野部屋出身の力士が一斉に「〜富士」で終わる四股名へ改名しました。そのなかで炎鵬だけが改名せず、「鵬」の字を残しています。本人は「このしこ名で自分という存在がある。しこ名に恥じないよう自分の名前を大切にしていきたい」と語り、自分にだけ改名の打診がなかったことについては「親方の心遣いだと思う」と述べました。四股名は師匠が与えるものです。その師匠が名を残させたという事実だけが、公にされている手がかりになります。
Q. 炎鵬の現在の師匠は誰ですか?
A. 10代伊勢ヶ濱親方、元横綱の照ノ富士です。2025年6月9日に部屋を継承しました。入門時の師匠は宮城野親方(元横綱・白鵬)で、白鵬は2025年6月に日本相撲協会を退職しています。
炎鵬の今日の取組結果・星取を確認する方法
炎鵬の当日の取組結果は、日本相撲協会の公式サイトで確認するのが最も確実です。
公式サイトの取組結果ページは、本場所中は取組が終わるたびに更新されます。
この記事は炎鵬の経歴と記録をまとめた資料ページのため、進行中の場所の星取は掲載していません。日々変わる情報は、次の手段で確認してください。
- 日本相撲協会公式サイト:取組結果・星取表・番付が一次情報として掲載される
- 公式アプリ「大相撲」:取組の速報と過去の対戦成績を確認できる
- NHK大相撲中継とテキスト速報:十両は14時05分ごろ、幕内は15時30分ごろから
- 当サイトの比較記事:大相撲の取組結果・速報はどこが速い?星取表の見方と5つの手段を比較
炎鵬は十両の力士なので、テレビ中継では十両の時間帯に登場します。幕内の取組だけを見ていると取組が終わっていることがあるため、放送開始の時刻に注意してください。
炎鵬に関するよくある質問
ここでは炎鵬について検索されることの多い疑問に、公式記録をもとに簡潔に答えます。
Q. 炎鵬の身長と体重は?
A. 167.0cm・107.0kgです(2026年7月場所終了時点)。幕内に上がった2019年ごろは100kg前後で、その後に体重を増やしています。新弟子検査の身長の基準にほぼ並ぶ体格から始まりました。
Q. 炎鵬は幕内に戻れますか?
A. 十両で勝ち越しを重ねれば可能性はありますが、時期を見通せる段階ではありません。2026年7月場所終了時点の番付は西十両11枚目で、再入幕には十両上位まで番付を上げたうえでの勝ち越しが必要になります。
Q. 炎鵬の愛称は?
A. 入門後は捻り技の巧みさから「ひねり王子」、小兵で技を使う相撲から「令和の牛若丸」と呼ばれてきました。「牛若丸」は、同じく小兵で活躍した舞の海が「平成の牛若丸」と呼ばれたことにちなむものです。
まとめ|炎鵬が土俵に立ち続ける意味
炎鵬は167cmの体で幕内を経験し、大けがを経て序ノ口から関取へ戻った力士です。この記事の要点を整理します。
- 石川県金沢市出身、伊勢ヶ濱部屋所属。2026年7月場所終了時点の番付は西十両11枚目
- 得意技は左四つからの下手投げ。捻りや足取りで体重差をひっくり返す
- 2017年3月初土俵、所要6場所で新十両、2019年5月新入幕。最高位は東前頭4枚目
- 2023年5月場所で頸部椎間板ヘルニアと脊髄損傷を負い、7場所連続で全休。番付は序ノ口まで下がった
- 2026年5月場所で関取に復帰。幕内経験者が序ノ口から十両へ戻った例は初めてとされる
小兵の力士が土俵で見せるのは、体格の差をそのまま受け入れない工夫の積み重ねです。低く当たり、動きを止めず、頭を土俵すれすれまで下げて投げを打つ。そのどれもが、体の大きな相手と同じ土俵に立つために編み出された手段でした。3年をかけて序ノ口から番付を戻すあいだも、炎鵬は同じ相撲を取り続けています。九月場所でも、その工夫の一番が見られるはずです。

