土俵の上で軍配を返し、「はっきょい、残った」と声を張る装束姿の人——それが行司です。行司は勝負を判定するだけの審判ではなく、土俵祭の司祭を務め、番付を筆で書き、場内放送まで担う大相撲の専門職です。この記事では、日本相撲協会の公式情報をもとに、行司の役割・8段階の階級・軍配の房の色・給料の目安・立行司「木村庄之助」と「式守伊之助」までを、初心者にもわかるように整理します。
📖 この記事でわかること
- 行司の仕事は勝負判定だけではない(土俵祭・番付書き・場内放送)
- 行司の階級は8段階。房の色・履物・裁く番数で格が一目でわかる
- 立行司「木村庄之助」「式守伊之助」の違いと、2026年現在の襲名者
- 行司の給料の目安と、十両格以上「有資格者」の境目
- 軍配を差し違えたとき、誰がどう決め直すのか
行司とは?勝負を裁き、土俵を司る大相撲の専門職
行司とは、大相撲で取組の進行と勝負の判定を担う専門職です。審判であり、神事の司祭でもあります。
土俵入りの先導、土俵祭の司祭、番付書き、場内放送、番付編成会議の書記まで受け持つ、協会の実務を支える存在でもあります。
土俵上で目にするのは、その仕事のごく一部にすぎません。行司は本場所の合間も、割場(取組編成の実務を行う部屋)で翌日の取組を書き出し、場所前には筆を執って番付を一枚に書き上げます。番付に使われる独特の太い文字は相撲字と呼ばれ、余白を嫌って隙間なく書くのは「客席が埋まるように」という願いを込めたものとされます。
土俵祭では、行司が祭主となって土俵の中央に穴を掘り、勝栗・洗米・塩などを鎮め物として納めます。相撲がもともと神事に由来する競技であることを、この所作は今も静かに伝えています。裁く人であると同時に、祈る人でもある——行司という職の輪郭は、そこにあります。
| 職種 | 主な役割 | 土俵での見分け方 |
|---|---|---|
| 行司 | 取組の進行と勝負の判定。土俵祭の司祭、番付書き、場内放送も担う | 烏帽子をかぶり直垂を着て、軍配を持つ |
| 呼出 | 力士の四股名の呼び上げ、土俵の整備、太鼓、懸賞旗の先導 | 半纏姿。扇子を持って力士を呼び上げる |
| 床山 | 力士の髷を結う。大銀杏を結えるのは一定以上の技量が要る | 土俵には上がらず、支度部屋で仕事をする |
Q. 「行司」と「行事」はどう違うのですか?
A. 大相撲で軍配を持つのは「行司」で、「行事」は催し物を指す一般語です。読みが同じため変換ミスが起きやすいのですが、相撲の文脈では常に「行司」が正しい表記になります。
Q. 力士の四股名を呼び上げているのは行司ですか?
A. 呼び上げているのは呼出です。行司が発するのは「はっきょい、残った」などの掛け声と、勝ち力士に告げる勝ち名乗りで、呼出とは職掌がはっきり分かれています。
行司の階級は8段階|房の色・履物・裁く番数の一覧
行司の階級は、立行司から序ノ口格までの8段階です。軍配の房の色と履物を見れば格がわかります。
上から立行司・三役格・幕内格・十両格・幕下格・三段目格・序二段格・序ノ口格と並び、この8階級になったのは1965年1月場所からです。
力士に番付があるように、行司にも番付があります。行司の名は番付の中軸に書かれ、上位者ほど大きな字で記されます。定員は45名以内、うち十両格以上は22名以内と定められており、日本相撲協会の公式「行司一覧」を2026年8月時点で数えると、現役の行司は41名です。
木村庄之助・式守伊之助
日本相撲協会公式「行司一覧」より作成(2026年8月時点・現役41名)
| 階級 | 房・菊綴じの色 | 履物 | 腰の持ち物 | 1日に裁く番数 |
|---|---|---|---|---|
| 立行司(木村庄之助) | 総紫 | 白足袋・草履 | 短刀と印籠 | 1番(結びの一番のみ) |
| 立行司(式守伊之助) | 紫白 | 白足袋・草履 | 短刀と印籠 | 2番 |
| 三役格行司 | 朱 | 白足袋・草履 | 印籠のみ | 2番 |
| 幕内格行司 | 紅白 | 白足袋 | なし | 2番 |
| 十両格行司 | 青白 | 白足袋 | なし | 2番 |
| 幕下格行司 | 黒または青 | 素足 | なし | 十両格以上の残りを格に応じて分担(下位ほど多い) |
| 三段目格・序二段格・序ノ口格行司 | 黒または青 | 素足 | なし | 同上 |
装束は直垂と烏帽子で、烏帽子は階級を問わず全員が黒です。色で語るのは房と菊綴じ、足元で語るのは履物という分担になっており、立行司と三役格を「格草履行司」、幕内格と十両格を「格足袋行司」、幕下格以下を「はだし行司」と呼び分けることもあります。十両格以上は「有資格者」と呼ばれ、三段目格以下の行司を付け人として従えます。
行司の装束は、力士や所属部屋、師匠、後援者から贈られるものが多く、横綱・大関へ昇進した力士が一門の行司に装束を贈る慣習もあります。土俵で目を引く華やかな紋様の多くは、誰かがその行司を思って誂えたものです。
Q. 軍配の房の色を見れば何がわかりますか?
A. その行司の階級がわかります。総紫が木村庄之助、紫白が式守伊之助、朱が三役格、紅白が幕内格、青白が十両格、黒または青が幕下格以下です。直垂の菊綴じも同じ色で揃えられています。
立行司「木村庄之助」と「式守伊之助」|二つの家と現在の2人
立行司とは行司の最高位で、木村庄之助と式守伊之助の二つの名跡が各1名ずつ置かれます。
番付にたとえると木村庄之助が東正横綱、式守伊之助が西正横綱に相当する地位です。
木村庄之助は本場所の本割で結びの一番だけを裁きます。一日の最後の一番に全てを懸けるという格式は古くからの伝統とされ、それゆえ立行司が軍配を返す瞬間には、独特の張りつめた空気が生まれます。
木村家と式守家という二つの行司家があるのは、江戸期以来の系譜がそのまま今日に続いているためです。両家は軍配の握り方が異なり、木村家は指を下に向ける「陰の構え」、式守家は指を上に向ける「陽の構え」とされます。中継で軍配を持つ手元に目を向けると、その行司がどちらの家の流れを汲むのかが読み取れます。
| 項目 | 39代 木村庄之助 | 43代 式守伊之助 |
|---|---|---|
| 本名 | 洞澤 裕司 | 森田 善光 |
| 生年月日 | 1961年10月30日 | 1963年9月12日 |
| 出身 | 東京都府中市 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
| 所属部屋 | 九重部屋 | 春日野部屋 |
| 襲名 | 2025年1月場所(2024年9月場所で立行司昇進・42代式守伊之助) | 2025年1月場所 |
| 房の色 | 総紫 | 紫白 |
39代木村庄之助は1977年11月場所に初土俵を踏み、およそ半世紀を土俵とともに歩んできました。43代式守伊之助は神奈川県出身として初の立行司です。式守伊之助を経てから木村庄之助へ進むのが通例で、二人が同時に土俵に立つ今の顔ぶれは、長い年月をかけて積み上げられたものです。
立行司だけが腰に短刀を差します。俗に、軍配を差し違えた場合には切腹する覚悟を示したものという説が広く流布していますが、これは象徴的な言い伝えとして語られてきたもので、制度上そう定められているわけではありません。もっとも、その一振りが背負わせる責任の重さは、今も変わらないのだと思います。
Q. 木村庄之助が空位だった時期があるのはなぜですか?
A. 立行司は誰でも昇れる地位ではなく、適任者がいなければ置かれないためです。実際に37代の退職後、庄之助が長く不在だった時期があり、39代の襲名によって現在は両名跡がそろっています。
物言いと軍配差し違え|勝敗は誰が最終的に決めるのか
勝敗の最終決定権は、土俵下の勝負審判にあります。行司は軍配を上げますが、評決には加われません。
この二重構造が大相撲の判定の要です。行司は一瞬の攻防を目の前で見て、必ず東西どちらかに軍配を上げなければなりません。「わからない」も「同体」も、行司の側からは選べない仕組みになっています。そのうえで、疑義があれば勝負審判が物言いをつけて協議し、映像も参照しながら軍配どおり・差し違え・取り直しのいずれかを決めます。行司は物言いを拒むことができず、取組中の反則の有無も行司の審査事項ではありません。
差し違えは、立行司であっても起こります。2026年5月の夏場所13日目、霧島と琴栄峰の一番で39代木村庄之助が軍配を差し違え、打ち出し後に八角理事長へ進退伺を申し出ました。理事長は「難しい相撲だった。これからもしっかり」と慰留したと報じられています。立行司に昇進してから初めての差し違えでした。
進退伺は制度上の処分ではなく、責任の所在を自ら明らかにするための慣例です。誤りを隠さずに差し出し、上位者がそれを預かる——この手続きそのものが、判定という仕事の重さを形にしていると言えます。
Q. 軍配を差し違えると行司は罰せられるのですか?
A. 直ちに処分されるわけではありません。立行司は進退伺を差し出す慣例があり、理事長が慰留する例が多く見られます。ただし差し違えは昇格・降格を審議する際の考課の材料になるとされます。
行司の給料はいくら?階級別の目安と「有資格者」の境目
行司の給与は階級ごとの月給制で、下位は数万円台、立行司でも本俸は40万円台とされます。
日本相撲協会が階級別の金額表を公表しているわけではないため、以下はあくまで目安として見てください。
| 階級 | 本俸月額の目安 |
|---|---|
| 立行司 | 40万円〜50万円未満 |
| 三役格行司 | 36万円〜40万円未満 |
| 幕内格行司 | 20万円〜36万円未満 |
| 十両格行司 | 10万円〜20万円未満 |
| 幕下格行司 | 4万2千円〜10万円未満 |
| 三段目格行司 | 2万9千円〜4万2千円未満 |
| 序二段格行司 | 2万円〜2万9千円未満 |
| 序ノ口格行司 | 1万4千円〜2万円未満 |
数字だけを見ると下位の行司はとても暮らせない額に見えますが、本俸のほかに各種の手当があり、幕下格以下の行司は力士と同じく相撲部屋で寝起きするのが基本です。十両格以上の「有資格者」になると待遇が変わり、装束も夏用と冬用に分かれます。力士における十両昇進と同じく、行司にとっても十両格が一つの節目になっています。
Q. 木村庄之助の年収はいくらですか?
A. 協会が公表していないため、正確な額は確認できません。本俸の目安に各種手当が加わる形になりますが、具体的な年収を断定して示す信頼できる一次情報は見当たらないのが実情です。
行司になるには?採用条件・見習い・昇格・定年
行司の採用は、義務教育を修了した満15歳以上満19歳以下の男子から行われます。
採用後は3年間の見習い期間が置かれ、序ノ口格から一段ずつ土俵を踏んでいきます。
昇格・降格は原則として年1回です。毎本場所と巡業ごとに作成された考課表をもとに、9月場所後の番付編成会議で審議され、理事会の決定を経て翌年1月から適用されます。序ノ口格から立行司まで、40年以上をかけて昇っていく世界です。
定年は満65歳です。2015年以降は、停年日が本場所の途中に来ても千秋楽まで職務を続けられるようになりました。なお39代木村庄之助は1961年10月30日生まれのため、この規定に沿えば2026年9月場所を最後に停年を迎える見込みです。
Q. 女性は行司になれますか?
A. 現行の規定では採用対象が「満15才以上満19才以下の男子」と定められており、女性の行司はいません。土俵に関する慣習とあわせて議論の対象になることがある論点です。
Q. 「はっきょい」にはどんな意味がありますか?
A. 力士の動きが止まったときにかける声で、「発気揚揚」を意味するとされます。「残った」は土俵に残れという呼びかけです。語源には諸説あり、いずれも断定はされていません。
まとめ|行司を知ると、土俵の見え方が変わる
行司は勝負を裁くだけの審判ではなく、土俵祭を司り番付を書く大相撲の専門職です。
階級は8段階で、軍配の房の色と履物を見れば格がわかります。最高位の立行司には木村庄之助と式守伊之助の二つの名跡があり、2026年現在は39代木村庄之助と43代式守伊之助がその任にあります。
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結びの一番、軍配が返る前の数秒間、土俵の上には力士二人と行司だけが立っています。声を張り、体をさばき、決着の瞬間に軍配を上げる。その一振りに短刀の重さを添えて立ち続けてきた人たちがいることを知ると、次に中継を見るとき、力士のうしろに立つ装束姿の姿勢や指先にも自然と目が向くはずです。土俵は、力士だけで成り立っているのではありません。

