豊昇龍智勝(ほうしょうりゅう ともかつ)は、立浪部屋所属の第74代横綱です。1999年5月22日生まれの27歳、モンゴル国ウランバートル市出身で、叔父は第68代横綱・朝青龍明徳。右四つからの多彩な投げ技を武器に、2023年7月場所と2025年1月場所で幕内優勝を果たし、2025年1月場所後に横綱へ昇進しました。2026年7月場所終了時点の通算成績は401勝235敗34休(51場所)、幕内優勝は2回です。
2026年に入ってからは、5月場所・7月場所と2場所続けて途中休場が続いています。7月場所後の横綱審議委員会では両横綱へ厳しい言葉が向けられましたが、引退勧告などの決議は出されていません。この記事では、豊昇龍の基本データと通算成績、いま起きていることの正確な経緯、そして「投げの横綱」と呼ばれる技術の中身までを、2026年8月5日時点の一次情報にもとづいて整理します。
📖 この記事でわかること
- 豊昇龍智勝の読み方・年齢・身長体重・通算成績(2026年7月場所終了時点)
- 横綱昇進から現在までの場所別成績と、2026年の2度の休場の中身
- 「引退するのか」——横綱審議委員会が実際に何を言ったのか、決議は出たのか
- なぜ「投げの横綱」なのか。決まり手データで見る取り口の設計
- 叔父・朝青龍との関係、四股名の由来、ライバルとの対戦成績
豊昇龍智勝とは|プロフィールと基本データ
豊昇龍智勝とは、モンゴル・ウランバートル出身で立浪部屋に所属する第74代横綱です。本名スガラグチャー・ビャンバスレン。188cm・150kgの体格から右四つに組み、上手投げ・掛け投げ・掬い投げといった投げ技を勝ち筋の中心に据える取り口で、2025年1月場所後に横綱へ昇進しました。叔父は第68代横綱・朝青龍明徳です。
| しこ名 | 豊昇龍 智勝(ほうしょうりゅう ともかつ) |
|---|---|
| 本名 | スガラグチャー・ビャンバスレン |
| 生年月日 | 1999年5月22日(27歳/2026年8月5日時点) |
| 出身地 | モンゴル国ウランバートル市 |
| 身長・体重 | 188.0cm・150.0kg(日本相撲協会公式プロフィール) |
| 所属部屋 | 立浪部屋 |
| 師匠 | 立浪親方(現役時代のしこ名は元小結・旭豊) |
| 最高位 | 第74代横綱(2025年1月場所後に昇進) |
| 出身校 | 日本体育大学柏高等学校(千葉県柏市) |
| 得意技 | 右四つ・寄り・投げ |
| 叔父 | 第68代横綱・朝青龍明徳 |
「ほうしょうりゅう ともかつ」——読み方とよくある誤記
四股名の読みは「ほうしょうりゅう ともかつ」です。「とよしょうりゅう」「とうしょうりゅう」と読まれることがありますが、いずれも誤りです。「豊」は音読みの「ほう」を当てています。
表記の誤りも少なくありません。検索の場では「豊青龍」「豊竜」「豊将龍」といった書き方が一定数見られます。このうち「豊青龍」は、後述するとおり四股名を決める過程で実際に検討された案でもあります。正しい表記は豊昇龍 智勝です。
Q. 「智勝」は本名ですか。
A. いいえ。本名はスガラグチャー・ビャンバスレンで、「智勝」はしこ名の下の名にあたる部分です。番付や公式記録では「豊昇龍 智勝」とフルで表記されます。
年齢・身長・体重(2026年8月5日時点)
1999年5月22日生まれで、2026年8月5日時点の年齢は27歳です。日本相撲協会公式プロフィールの体格は188.0cm・150.0kg。報道では188cm・148kg前後と記されることもあり、体重は測定時期によって数kgの幅があります。
現代の横綱としては、体重で見ると重い部類ではありません。同時代の横綱・大の里が192cm・176kg前後であることを踏まえると、豊昇龍は「押し合いの力比べ」ではなく「組んでから崩す」設計で土俵に立っていることになります。この体格と取り口の関係は、後述の決まり手データにもはっきり表れます。
通算成績と優勝回数(2026年7月場所終了時点)
2026年7月場所終了時点の通算成績は401勝235敗34休(51場所)、幕内成績は319勝187敗34休(36場所)です。幕内優勝は2回(2023年7月場所・2025年1月場所)。三賞は技能賞2回・敢闘賞1回で、殊勲賞と金星はありません。横綱在位中の成績は9場所で71勝35敗29休、この期間の優勝はまだありません。
| 区分 | 成績 | 場所数 |
|---|---|---|
| 通算 | 401勝235敗34休 | 51場所 |
| 幕内 | 319勝187敗34休 | 36場所 |
| 横綱在位 | 71勝35敗29休 | 9場所 |
| 幕内優勝 | 2回(2023年7月場所・2025年1月場所) | — |
| 三賞 | 技能賞2回・敢闘賞1回 | — |
通算400勝の節目は、2026年7月場所8日目に到達しました。
Q. 豊昇龍の優勝は何回ですか。
A. 幕内優勝は2回です。大関時代の2023年7月場所と、横綱昇進を決めた2025年1月場所(優勝決定巴戦を制覇)の2回で、横綱に上がってからの優勝はまだありません(2026年7月場所終了時点)。
横綱昇進後の歩みとけがの経過
横綱昇進の内定は2025年1月場所後でした。直前3場所は8勝・13勝・12勝(優勝)の計33勝。横綱昇進の内規は「2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」とされ、この33勝という数字は昇進の是非をめぐる議論を呼びました。当時は照ノ富士の引退で横綱が不在になる状況が重なっていた点も、しばしば背景として指摘されます。
昇進後は、上位で戦い続ける力と、けがとの付き合いの難しさが同時に表れる9場所となっています。
場所別成績(2025年1月場所〜2026年7月場所)
| 場所 | 番付 | 成績 | おもな出来事 |
|---|---|---|---|
| 2025年1月 | 西大関 | 12勝3敗 | 優勝決定巴戦を制して2度目の優勝。場所後に横綱昇進 |
| 2025年3月 | 東横綱 | 5勝5敗5休 | 右肘関節内遊離体・頸椎捻挫で10日目から休場 |
| 2025年5月 | 横綱 | 12勝3敗 | 皆勤で二桁勝利 |
| 2025年7月 | 横綱 | 1勝4敗10休 | 左足親指の捻挫で5日目から休場 |
| 2025年9月 | 横綱 | 13勝2敗 | 優勝次点 |
| 2025年11月 | 横綱 | 12勝3敗 | 優勝次点 |
| 2026年1月 | 東横綱 | 10勝5敗 | 左膝に不安を抱えながら皆勤 |
| 2026年3月 | 東横綱 | 11勝4敗 | 千秋楽に安青錦を掛け投げで下し6度目の対戦で初勝利 |
| 2026年5月 | 東横綱 | 0勝2敗13休 | 初日に高安へ敗れた際に負傷し2日目から休場 |
| 2026年7月 | 東横綱 | 7勝7敗1休 | 8日目に通算400勝。14日目から休場 |
新横綱として迎えた2025年3月場所の途中休場は、新横綱の途中休場としては1986年秋場所の双羽黒以来39年ぶりの出来事でした(日本経済新聞 2025年3月18日)。
2026年の2度の休場——診断書に書かれていたこと
2026年5月場所(夏場所)。初日、小結・高安との一番で敗れた際に右太もも裏を痛めました。翌日に「右太もも裏損傷のため、約2週間の安静を要する見込み」との診断書が提出され、2日目の5月11日から休場となります。立浪親方は「足を引きずっていて(相撲を)取れないと私が判断した。優勝のチャンスだったが、残念」と語りました(時事通信 2026年5月11日)。同場所は大の里も休場しており、複数の横綱がそろって休むのは2021年春場所(白鵬・鶴竜)以来のことでした。この場所の詳しい経緯は豊昇龍が夏場所2日目から休場——理由・診断書・横綱不在の影響にまとめています。
2026年7月場所(名古屋場所)。復帰して土俵に上がりましたが、10日目までに4敗、13日目までに6敗を喫します。そして14日目の7月25日から休場。提出された診断書には「右内側側副靱帯損傷、右ハムストリング損傷。療養期間6週間」と記されていました(日刊スポーツ・スポーツニッポン 2026年7月25日)。2場所続けての休場であり、横綱在位中の休場はこれで4度目となります。
その後、日本相撲協会は7月30日、8月2日に岐阜市で始まる夏巡業の休場力士9人を発表し、豊昇龍の休場理由を右膝内側側副靱帯損傷としています(デイリースポーツ 2026年7月30日)。
2026年7月27日の横綱審議委員会——引退勧告は出ていない
名古屋場所後の2026年7月27日、東京・両国国技館で横綱審議委員会が開かれました。ここで語られた内容が「豊昇龍は引退するのか」という関心の出どころになっています。事実関係を正確に押さえておきます。
大島理森委員長は、引退勧告・注意・激励といった決議について「そういうことは今回は出しません」「議論もありませんでした」と述べ、そのうえで「その前段階かもしれない」とも語ったと報じられました(中日スポーツほか 2026年7月27日)。また八角理事長に対して、「横綱の責任と自覚、心技体。この言葉をもとにして自分自身に問いかけ、体を万全にし、横綱の相撲道における姿を見せていただく責任がある」と伝えたことが伝えられています。
対象は豊昇龍ひとりではなく、豊昇龍・大の里の両横綱です。大の里も左肩の状態から2場所続けて休場し、名古屋場所で復帰したばかりでした。報道の見出しで両者が並べて論じられることが多いのは、この経緯によります。
つまり、2026年8月5日時点で豊昇龍に引退勧告は出ておらず、注意や激励の決議も出されていません。そして本人が引退を表明した事実もありません。「引退勧告が出た」「横審が正式に注意した」という形で広まっている情報は、いずれも事実と異なります。
Q. 豊昇龍は引退したのですか。
A. していません。2026年8月5日時点で現役の第74代横綱です。2026年7月場所後の横綱審議委員会でも、引退勧告・注意・激励のいずれの決議も出されていません。
秋場所までに残された時間
2026年9月場所(秋場所)は、9月13日に初日を迎え9月27日千秋楽の日程で両国国技館で行われます。7月25日に提出された診断書の療養期間は6週間。単純に数えれば9月上旬に明ける計算で、日程のうえでは出場が不可能な状況ではありません。ただし夏巡業を全休している以上、実戦感覚を取り戻す時間は限られます。
本人と部屋がどう判断するかは、番付発表以降の稽古の様子を見るほかありません。ここで見通しを断定することはしません。
豊昇龍の技術論|なぜ「投げの横綱」と呼ばれるのか
豊昇龍の相撲は、体重で押し勝つ相撲ではありません。右四つに組んでから相手の体勢を崩し、投げや捻りで仕留める——この一手間が入るのが最大の特徴です。それは印象論ではなく、決まり手のデータにはっきり現れています。
寄り切り21%、押し出し13%、掬い投げ9%、その他57%。前に出て押し切る決まり手の合計はおよそ3分の1で、残りは投げ・捻り・掛けを含む多様な手で構成されています。相手を土俵の外へ運ぶより先に、まず体勢を奪う。その設計が数字に出ているといえます。
右四つから投げへ——勝ち筋の組み立て
勝ちパターンの核は、右四つで左の前みつ(まわしの前側の折り返し部分)を引いたときの形にあります。相手の右腕を抱えるように引きつけ、腰を斜めに捻りながら体を入れ替える。ここから上手投げ・掛け投げ・掬い投げへと分岐していきます。
体格で上回る相手に対しても、この二段構えなら勝ち筋が残ります。192cm・176kg前後の大の里、180cm・125kg前後の安青錦といった対戦相手に対し、力比べを避けて崩しから入る——横綱の土俵でそれを通してきたことが、豊昇龍の技術の証明になっています。
Q. 豊昇龍の得意技は何ですか。
A. 日本相撲協会公式プロフィールでは「右四つ・寄り・投げ」とされています。とくに投げ技の引き出しが多く、上手投げ・掛け投げ・掬い投げ・上手捻りを状況に応じて使い分けます。
立ち合いと張り差しをめぐる議論
横綱昇進後、立ち合いで張り差し(相手の顔を張りながら差し手を取る動き)を使う場面が増え、これを疑問視する声が上がりました。2026年3月場所では、元大関・琴風がスポーツ報知に「立ち合いは体をぶつけてこそ後の流れができる」と述べ、武蔵川親方もデイリースポーツで立ち合いの選択を敗因に挙げています。「横綱の立ち合いは正面から」という期待が背景にあります。
2026年5月場所前には、出稽古で踏み込んで頭から当たる相撲を意識的に試す姿も伝えられました。ただしその後は2場所続けて休場が重なっており、立ち合いの改善が土俵の上でどこまで形になったのかは、まだ十分な取組数で確かめられていません。
名場面:2026年3月場所千秋楽・対大関安青錦
2026年3月場所千秋楽。それまで5戦全敗と苦手にしていた大関・安青錦との一番でした。右四つから右足を安青錦の左足に絡め、体を右へ振り込む掛け投げ。6度目の対戦にして初めての白星でした。
苦手な相手を、力ではなく組み手の工夫で越える。豊昇龍の相撲の性格が、もっともよく表れた一番として記憶されています。
生い立ちと来日|柔道・レスリングから相撲へ
日体大柏高校で相撲に出会うまで
豊昇龍は5歳で柔道を始め、11歳でレスリングに転向しました。レスリングの選手として日本体育大学柏高等学校(千葉県柏市)へ進み、来日します。相撲との出会いは高校1年のとき。授業の一環で両国国技館を訪れた際に関心を持ち、叔父の朝青龍に相談したうえで転向を決めました。
「豊昇龍 高校」で検索されることが多いのはこの経緯によるもので、相撲部からの叩き上げではなく、レスリング留学生として来日した先で相撲に出会った点が、この力士の経歴の特徴です。
四股名「豊昇龍」の由来
「豊昇龍」という四股名には、三者の意志が重ねられています。師匠・立浪親方の現役時代のしこ名「旭豊」から「豊」、叔父・朝青龍から「龍」、そして本人の「横綱まで昇りつめたい」という思いから「昇」。この三字を組み合わせた造語です。
当初は「豊青龍」とする案もありましたが、師匠が「もっと良い字がある」と提案し、本人も「昇」の字を気に入ったことで現在の四股名に決まりました。検索の場で「豊青龍」という表記が今も見られるのは、この経緯の名残とも言えます。四股名に横綱への道筋が刻まれていたことになります。
Q. 立浪親方の現役時代のしこ名は何ですか。
A. 元小結・旭豊です。豊昇龍の「豊」の字は、この師匠のしこ名から取られています。
叔父・朝青龍との関係|受け継いだもの、受け継がなかったもの
豊昇龍の父スガラグチャー氏は、第68代横綱・朝青龍明徳の兄にあたります。血縁上、豊昇龍は朝青龍の甥です。
入門後も朝青龍は直接助言を送り続けたと伝えられます。「自分の力で強くなれ、引いてはダメ」「急に太ってはダメ、怪我をするから」といった言葉は、前に出る取り口と体重管理という、いまの豊昇龍の土台に重なります。2021年1月場所で初日から5連敗した際には朝青龍が公の場で厳しい言葉を向け、豊昇龍は6日目から8連勝で盛り返しました。
一方で、受け継がなかった部分もあります。師匠・立浪親方は複数の取材で豊昇龍について「素直でいい子」と語ってきました。稽古場では兄弟子に負けて悔しがる負けん気を見せ、部屋では愛称「ビャンバ」で呼ばれる。2025年1月場所の優勝インタビューで「一番最初に親方に、その後に叔父さんに言いたいです」と答えて場内が沸いた場面は、この関係の距離感をよく表していました。
ライバル関係|大の里・霧島・安青錦
| 相手 | 関係 | 対戦成績(2026年3月場所終了時点) |
|---|---|---|
| 大の里(横綱) | 同時代の横綱 | 豊昇龍の9勝2敗(不戦を含む) |
| 霧島(大関) | モンゴル出身の同郷。少年期からの間柄 | 読み合いの深い好取組が続く |
| 安青錦(大関) | 年下の難敵 | 2026年3月場所千秋楽に6度目の対戦で初勝利 |
大の里との関係は、「組んで崩す横綱」と「圧力で押す横綱」という対照で語られてきました。192cm・176kg前後の圧力を投げでさばく図式は、相撲の面白さがそのまま出る組み合わせです。ただし2026年は、5月場所で両者そろって休場、7月場所は大の里が2場所ぶりの復帰で皆勤する一方、豊昇龍が終盤に休場と、二人が万全でぶつかる機会に恵まれていません。横綱の位については横綱とは?意味・なり方・歴代一覧で解説しています。
霧島はモンゴル出身の同郷で、少年時代から互いを知る間柄です。2026年3月場所では霧島が12勝3敗で優勝しています。
安青錦はウクライナ出身。2026年3月場所千秋楽まで豊昇龍が1勝5敗と分の悪い相手でしたが、その千秋楽の掛け投げで流れが動きました。次の対戦が待たれる関係です。
よくある質問
Q. 豊昇龍は何歳ですか。
A. 1999年5月22日生まれで、2026年8月5日時点で27歳です。2025年1月場所後に25歳で横綱へ昇進しました。
Q. 豊昇龍はなぜ朝青龍の甥なのですか。
A. 豊昇龍の父スガラグチャー氏が、第68代横綱・朝青龍明徳の兄にあたるためです。幼少期からモンゴルで叔父の影響を受け、相撲への転向も朝青龍に相談したうえで決めました。
Q. 豊昇龍はいつ横綱に昇進しましたか。
A. 2025年1月場所で12勝3敗の優勝(優勝決定巴戦を制覇)を果たし、場所後の日本相撲協会臨時理事会で第74代横綱への昇進が承認されました。直前3場所は計33勝でした。
Q. 豊昇龍の身長・体重はどれくらいですか。
A. 日本相撲協会公式プロフィールでは188.0cm・150.0kgです。報道では148kg前後と記されることもあり、体重は測定時期によって幅があります。
Q. 2026年の豊昇龍の成績はどうですか。
A. 1月場所10勝5敗、3月場所11勝4敗、5月場所は0勝2敗13休、7月場所は7勝7敗1休です。5月・7月と2場所続けて途中休場となりました(2026年7月場所終了時点)。
Q. 豊昇龍のけがはどこですか。
A. 2026年7月場所の休場時に提出された診断書には「右内側側副靱帯損傷、右ハムストリング損傷。療養期間6週間」と記されていました。7月30日発表の夏巡業休場の理由も右膝内側側副靱帯損傷です。
Q. 「とよしょうりゅう」と読むのは間違いですか。
A. はい。正しい読みは「ほうしょうりゅう ともかつ」です。表記も「豊青龍」「豊竜」「豊将龍」ではなく「豊昇龍 智勝」が正式です。
まとめ
豊昇龍智勝は、188cm・150kgという体格から右四つに組み、投げと捻りで相手を崩して勝ち筋をつくる第74代横綱です。2026年7月場所終了時点で通算401勝235敗34休、幕内優勝2回。横綱在位9場所のうち、けがによる休場が4度あり、2026年は5月・7月と続けて土俵を降りることになりました。
7月場所後の横綱審議委員会では厳しい言葉が向けられましたが、引退勧告をはじめとする決議は出されていません。本人が進退に触れた事実もありません。9月13日に初日を迎える秋場所へ向けて、いまは体を戻す時間の途中にあります。
叔父から受け取った「引いてはダメ」という言葉を、この力士は体格に恵まれない側の相撲——組んでから崩すという工夫——で形にしてきました。土俵に戻ったとき、その相撲がどんな姿で現れるのか。静かに待ちたいと思います。

